『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.461

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譽たり、, 居、龜田を面り過し、跡にて家より出て、町中にてこたへ、大坂勢と鑓を合せ, 衞門か云、大隅一代乃軍功あ〓くろだふ〓ろらす、然るに團右衞門首一ツ, をは八木新左衞門討取たると定る、此事を龜田方憤る、大隅嫡子龜田半左, をとかく論するにをらす、如何樣ニも申候へ、憤る筈になしと云、聞人感し, 井大炊頭へ咄候を聞たる人物語なり、, 一番鎗なり、龜田は河原の敵を追拂町へかけ入、鑓を合すると、淺野右近、土, 災人と日來嘲たる人を笑返したりと云、淡輪六郎兵衞か石塔樫井に有之、, 坂方淡輪六郎兵衞を討取、其首をもき付にして持參し、病者に劣りた多息, 々はあの病者にて、何の役に可立と笑、永田是を聞傳へ、人足は力と達者次, 甥の淡輪新兵衞立たりと聞、其時の一番鑓の吟味有、樫井一戰の時、龜田大, 第、侍き剛の者乃み役に立、無病又病者によるへからすといふ、樫井にて、大, 淺野左衞門家人永田治兵衞は、病者にてかけ走な事不自由也、若者とも内, 隅惣手の殿して跡より退、上田主水は先へ退て、樫井の町屋のうらに隱れ, ると云、團右衞門具足も打取にして、龜田方に有之、淺野家にては、團右衞門, 田治兵衞, ノ家臣永, 淡輪六郎, 兵衞ノ首, 淺野忠知, 樫井合戰, ヲ取ル, ノ一番鑓, 元和元年四月二十九日, 四六一

頭注

  • 田治兵衞
  • ノ家臣永
  • 淡輪六郎
  • 兵衞ノ首
  • 淺野忠知
  • 樫井合戰
  • ヲ取ル
  • ノ一番鑓

  • 元和元年四月二十九日

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  • 四六一

注記 (25)

  • 1466,646,55,213譽たり、
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