『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.463

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

て働く、されとも岸和田へはかまはず、直に紀伊國路におもむくゆへ、小, ゆへ、諸勢朝飯もしたゝめず押出せしが、堺へは入ずして、岸和田をさし, をつかひ居ける處を、岡部分しぬきて拔がけにする、其時團右衞門をは, 打立まばらがけに佐野のかたへ押きたらん模樣なり、此まばらがけは、, しけるに、岡部大學にしらせざる事を意趣にこめ、團右衞門貝塚にて粮, ヅ歩侍二人貝塚物見につかはす處に、敵かの地に充滿して、既に貝塚を, 三宿越前守、岡部大學、長岡與五郎、塙團右衞門等四萬余を催して、泉州堺, 出大和守も身かまへしてかまはず、大坂勢堺より四里半南貝塚といふ, 者兩人、先手淺野左衞門佐か陣に歸て、是を告る、左衞門佐、右近太夫相議, じめ諸勢軍法を破り、何もまばらかけに仕ると見えたり、然る間、右の歩, は生捕、大野をば則時に討捕てけり、扨又大坂には大野主馬大將として、, の津へはたらき、乱妨取せんと申ふれ、同廿九日の未明に、俄に勢を出す, 所へ着陣して、諸勢かてをつかはんとす、此よし但馬守先陣傳へ聞て、ま, 去年極月十六日の夜、塙團右衞門、長岡與五郎申合せて、蜂須賀手へ夜討, 味の首尾を合せん堅約のため越つると見へしが、淺野左衞門佐中村を, 元和元年四月二十九日, 紀伊ニ向, 攻メント, 耳言シテ, 大坂堺ヲ, 大學直之, ヲ出シ拔, フ, 四六三

頭注

  • 紀伊ニ向
  • 攻メント
  • 耳言シテ
  • 大坂堺ヲ
  • 大學直之
  • ヲ出シ拔

ノンブル

  • 四六三

注記 (24)

  • 1280,715,59,2151て働く、されとも岸和田へはかまはず、直に紀伊國路におもむくゆへ、小
  • 1397,714,58,2152ゆへ、諸勢朝飯もしたゝめず押出せしが、堺へは入ずして、岸和田をさし
  • 460,715,58,2150をつかひ居ける處を、岡部分しぬきて拔がけにする、其時團右衞門をは
  • 811,714,59,2165打立まばらがけに佐野のかたへ押きたらん模樣なり、此まばらがけは、
  • 576,721,60,2148しけるに、岡部大學にしらせざる事を意趣にこめ、團右衞門貝塚にて粮
  • 928,722,59,2148ヅ歩侍二人貝塚物見につかはす處に、敵かの地に充滿して、既に貝塚を
  • 1629,712,62,2157三宿越前守、岡部大學、長岡與五郎、塙團右衞門等四萬余を催して、泉州堺
  • 1162,711,60,2152出大和守も身かまへしてかまはず、大坂勢堺より四里半南貝塚といふ
  • 224,717,60,2147者兩人、先手淺野左衞門佐か陣に歸て、是を告る、左衞門佐、右近太夫相議
  • 343,717,60,2152じめ諸勢軍法を破り、何もまばらかけに仕ると見えたり、然る間、右の歩
  • 1745,725,61,2153は生捕、大野をば則時に討捕てけり、扨又大坂には大野主馬大將として、
  • 1513,720,60,2144の津へはたらき、乱妨取せんと申ふれ、同廿九日の未明に、俄に勢を出す
  • 1044,711,62,2156所へ着陣して、諸勢かてをつかはんとす、此よし但馬守先陣傳へ聞て、ま
  • 693,717,59,2150去年極月十六日の夜、塙團右衞門、長岡與五郎申合せて、蜂須賀手へ夜討
  • 1862,714,61,2147味の首尾を合せん堅約のため越つると見へしが、淺野左衞門佐中村を
  • 121,721,45,428元和元年四月二十九日
  • 1422,273,41,172紀伊ニ向
  • 1512,273,36,163攻メント
  • 1468,272,38,167耳言シテ
  • 1551,272,44,164大坂堺ヲ
  • 618,277,41,167大學直之
  • 574,282,41,166ヲ出シ拔
  • 1385,277,31,32
  • 126,2454,43,122四六三

類似アイテム