『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.687

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押續き、福島伊与守、同武藏守、渡邊内藏介、大谷大學、伊木七郎右衞門も押來, 高名多き中に柳田五郎介晴なる高名なり、政宗むつ付て追立來候、眞田池, 候、豐前備と一所には不成、譽田の方え押立參候、そこにて鉄炮の先え繰出, 成合候、其時左衞門佐子息大助十六に成候、組打に仕候高名の印を鞍のし, 數追返され、西の方え七八町も崩レ申候、此時渡邊内藏介手負申候、大坂方, し候と、伊達政宗先手片倉小十郎、石母田大膳人數と懸ケ合、鑓を入暫相戰, の輩數多也)、眞田は勝を持て人數をまとひ靜々と、毛利豐前か備え一所に, 立、眞田左衞門佐七八千にて押立參候、森豐前備も、是に力を得申候、眞田に, 宗か勢を譽田の山え追上ケ申候、片倉小十郎旄を取守返し候故、眞田か人, 候、政宗先手敗軍仕り、譽田の方え崩申候、眞田勝に乘て逃を追てすゝみ、政, 候、爰にて政宗内片倉小十郎、眞木野大藏手柄成高名也、大御所の御猶子松, 候、政宗方又追返され引取候、眞田押立すゝみ、政宗勢を譽田の町え追込申, の有候所を便り、金の蠅取の馬印を押立返し合、又政宗か人數を追返し申, ほ手に付、高股に鑓手負、豐前備へ參候へは、豐前も槇島玄蕃も大きに感申, 平信濃守も旗本より抜懸ケに掛來り、爰にて太刀打の高名其外分捕高名, 助傷ク, 氏ノ軍ヲ, 柳田五郎, 破ル, 渡邊内藏, 幸村伊達, 助ノ功名, 幸村ノ子, 大助, 元和元年五月六日, 六八七

頭注

  • 助傷ク
  • 氏ノ軍ヲ
  • 柳田五郎
  • 破ル
  • 渡邊内藏
  • 幸村伊達
  • 助ノ功名
  • 幸村ノ子
  • 大助

  • 元和元年五月六日

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  • 六八七

注記 (26)

  • 1778,630,65,2228押續き、福島伊与守、同武藏守、渡邊内藏介、大谷大學、伊木七郎右衞門も押來
  • 1080,630,60,2226高名多き中に柳田五郎介晴なる高名なり、政宗むつ付て追立來候、眞田池
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