『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.717

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

致、是は兄伊豆守東衆なれは、定て裏返り、我々をたはかり候物と申内に、四, たる心地いたし勇み申候、眞田ニ推續、福島伊与守、同武藏守、渡邊内藏助、大, 右へ開かせ、鉄炮を出し打立候と等しく、伊達正宗内片倉小十郎、石母田大, 万も大水の來ル樣に滿々と見候故、何も前ノ手段相違仕、とかく討死と存, 膳とひしと取結ひ、地煙ヲ立二揉三揉取、眞田か勢一足も不引相戰進み、息, をもくれす追立候、正宗勢を譽田の山へ追上ケ申故、片倉小十郎〓ヲ取、金, 田參と、森豐前守備も、後藤又兵衞敗軍の者共も競候て、只地獄ニ〓佛ヲ見, の釣鐘の指物にて返合、下知致候故、正宗か勢又引返し、眞田か人數を取込, 極、鉄炮ヲ出シあいしらい眞田を待候得共、終ニ眞田不參、是ニ弥氣をくれ, も、又兵衞者共も、又力を落し、疑ひもなく、眞田東方へ裏返り候と申所え渡, り、馬煙りを立參候、能見候へは、金の蠅取のしるし見へ候ニより、すはや眞, 邊内藏助と一手に成、眞田左衞門三千之備、眞丸に成堤筋へ推上ケ、旗ヲ左, 時の下りに住吉海道はひき野ゟ赤きのほり五十本押立て、勢の程三千餘, ニ、眞田は森と一所にならす、譽田の方へ行過、登りを押立參候故、豐前者共, 谷大學、伊木七郎右衞門一万餘にて推來り、森か備彌競て眞田を待付候所, (埴生野), 破ル, 幸村政宗, 幸村遲レ, 着ス, ノ先鋒ヲ, 元和元年五月六日, 七一七

頭注

  • 破ル
  • 幸村政宗
  • 幸村遲レ
  • 着ス
  • ノ先鋒ヲ

  • 元和元年五月六日

ノンブル

  • 七一七

注記 (23)

  • 1663,638,67,2207致、是は兄伊豆守東衆なれは、定て裏返り、我々をたはかり候物と申内に、四
  • 1195,639,63,2211たる心地いたし勇み申候、眞田ニ推續、福島伊与守、同武藏守、渡邊内藏助、大
  • 611,630,62,2214右へ開かせ、鉄炮を出し打立候と等しく、伊達正宗内片倉小十郎、石母田大
  • 1899,638,64,2215万も大水の來ル樣に滿々と見候故、何も前ノ手段相違仕、とかく討死と存
  • 494,629,62,2215膳とひしと取結ひ、地煙ヲ立二揉三揉取、眞田か勢一足も不引相戰進み、息
  • 377,636,61,2204をもくれす追立候、正宗勢を譽田の山へ追上ケ申故、片倉小十郎〓ヲ取、金
  • 1311,638,66,2217田參と、森豐前守備も、後藤又兵衞敗軍の者共も競候て、只地獄ニ〓佛ヲ見
  • 257,636,62,2206の釣鐘の指物にて返合、下知致候故、正宗か勢又引返し、眞田か人數を取込
  • 1782,635,65,2216極、鉄炮ヲ出シあいしらい眞田を待候得共、終ニ眞田不參、是ニ弥氣をくれ
  • 842,640,66,2209も、又兵衞者共も、又力を落し、疑ひもなく、眞田東方へ裏返り候と申所え渡
  • 1430,639,63,2211り、馬煙りを立參候、能見候へは、金の蠅取のしるし見へ候ニより、すはや眞
  • 727,629,62,2215邊内藏助と一手に成、眞田左衞門三千之備、眞丸に成堤筋へ推上ケ、旗ヲ左
  • 1545,638,65,2213時の下りに住吉海道はひき野ゟ赤きのほり五十本押立て、勢の程三千餘
  • 960,649,68,2196ニ、眞田は森と一所にならす、譽田の方へ行過、登りを押立參候故、豐前者共
  • 1075,634,68,2218谷大學、伊木七郎右衞門一万餘にて推來り、森か備彌競て眞田を待付候所
  • 1610,1277,43,165(埴生野)
  • 807,266,39,71破ル
  • 894,267,41,172幸村政宗
  • 1464,268,43,164幸村遲レ
  • 1421,267,38,77着ス
  • 850,272,41,159ノ先鋒ヲ
  • 159,701,51,344元和元年五月六日
  • 156,2428,44,123七一七

類似アイテム