『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.980

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る所も有、だれより堤へ乘あくるニ、馬のかんよりきは上りか〓、亦馬下手, ニ付、急て貳ケ所の切所を此方へ乘取申事, 知にも不搆五百騎の衆貳町程乘出候處ニ、先ニふけ有て細道二筋ならて, も相止、敵の樣子を見被申内ニ、彌敵急ニ懸來て候ニ付、掃部殿手ゟ物見四, 深さ馬のふと腹ニつく所もあり、又はこゆる所も有亦き足のふしにかゝ, はなし、此にて先へ人數越へき樣なき所ニ、いかにもしつかに二筋の細道, 介、松浦彌左衞門と申者くはゝり、敵方急に押懸參候、前方軍可有とは不存, 掃部殿五百騎の衆川中へ乘込、腹帶しめ直し、馬の口あらひ申候、此所川の, 所ニ、夜明ニ押懸參候ニ付〓、泉州殿、掃部殿も山ゟ人數おろし備を立、半時, 五騎被遣、先の樣子を被見屆候、扨掃部殿馬より下て手鑓をもち、面々の馬, を越て、向へうつる、其向ニ追付大和川あり、此川兩堤高く候ふ、人馬越候事, の衆は堤中にて乘たほし、我共ニ川へ落る衆も御座候、是まてはあらまし, 一間宛跡に引付、貳町程歩にて向へ押、それゟ面々馬ニひた〳くと打乘、下, 存の儘に不成候、此大和川ふけ乃所敵にとられては、此方ゟむつかしく候, 如此ニ御座候、, 大和川ノ, 井伊勢先, 水深, ヲ占領ス, 大和川堤, 元和元年五月六日, 九八〇

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  • 大和川ノ
  • 井伊勢先
  • 水深
  • ヲ占領ス
  • 大和川堤

  • 元和元年五月六日

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  • 九八〇

注記 (22)

  • 401,634,64,2225る所も有、だれより堤へ乘あくるニ、馬のかんよりきは上りか〓、亦馬下手
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