『大日本史料』 12編 18 元和元年四月~同年五月 p.1094

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衞門討取たる事必定なり、安藤長三郎其首をもらひ、其身か取たる樣に申, とて、長門首を長三郎に取する、長三郎悦て是を持行を、助右衞門呼もとし、, 形の甲也、鍬形の角元は菊から草也と云井伊兵部少輔直政の家老木股土, 母衣絹に包持參候へ、大御所樣は御吟味つよくして、〓武者の頭母衣に不, 右京と庵原主税は同母異種の兄弟也, 後伏見の御城へ長三郎を召、五代青江と云御腰物を被下たるにより、天下, 添は御非言御入候はんとて、母衣絹刀脇差迄くれる、助右衞門郎等共、をめ, て是は此方に殘しとめんとて、白熊つきたる金の〓竹はおさへて不遣、于, に其名高し、助右衞門家人共是を悔む、助右衞門申は、我手前は掃部殿能御, 佐守大剛乃兵也、其子左京後清左衞門と云、大坂御陣にて手柄有、右の左京, か母は土佐守か後家也、其後家を庵原助右衞門娶て主税を産、此故に木股, 存知なれは悔む事なしと云しと也、長門首をみた〓人の咄しに、四方白鍬, 今助右衞門方に有といふ、長門首をは、家康公御實〓に入、中〳〵御感不斜, 成したり、庵原は首をくれ候〓とのこと故、遂に一言も不申候へとも、江戸, 〔武邊咄聞書〕七大坂御陣にも、木村長門守をは、井伊直孝家老庵原助右, 庵原木俣, 兩家ノ關, 係, 重成ノ討, 手, 元和元年五月六日, 一〇九四

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  • 庵原木俣
  • 兩家ノ關
  • 重成ノ討

  • 元和元年五月六日

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  • 一〇九四

注記 (22)

  • 285,642,70,2228衞門討取たる事必定なり、安藤長三郎其首をもらひ、其身か取たる樣に申
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