『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.287

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御袖を扣へて、此所き大事之場也と御諫申、人數をまとめ、重〓城兵來なと, 次右衞門正次父子防戰討死なり、家康公扇之御馬印も、或家へ入て、赤旗は, 立手柄致し候、我等き土井大炊頭にて候、其方今日之働比類なく候間、掃部, 城之方へ追詰行と也、, 一本に直孝公と藤堂と先手にて、越前松平筑前守光高、本多出雲守忠朝は, 頭にて候と申けれは、あれ聞候へ、井伊は敵を追しと見えたり、彼に笑はれ, 部か手は不崩大粧軍立て有之と上意之由、, と見さため、急き馳歸り申上候は、遙に向に敵方へ押向て進む旗〓そ掃部, 見えぬかと度々上意二度に及ひ、御尋之時、五文字之内ゟ乘出し、慥にそれ, 土井大炊頭利勝、御糜を守立候山へ御越候て、郷左衞門ニ被仰候は、旗を守, ん事の無念さよ、馬印押立よと仰あるに色を直して、御旗本瞳と取て返し、, も、中々此所を破らをしと備を立て守りける、家康公茶臼山ゟ上覽被遊、掃, と〓てかゝる、直孝公獅子王之怒りをなし、敵を追んと進み給へるを、半介, 左右に扣へ、藤堂勢〓炮に中り怺へ兼候所、使者來り、手替と云けれは、先勢, 擧んとをしと〓ろを敵崩すゆゑに、本多出雲守忠朝、小笠原兵部父子、安藤, (引脱力), 等ノ戰死, 家康井伊, ノ功ヲ稱, 衞門兄弟, 菅沼郷左, 隊ノ所在, 本多忠朝, 揚ス, 土井利勝, ヲ問フ, 元和元年五月七日, 二八七

頭注

  • 等ノ戰死
  • 家康井伊
  • ノ功ヲ稱
  • 衞門兄弟
  • 菅沼郷左
  • 隊ノ所在
  • 本多忠朝
  • 揚ス
  • 土井利勝
  • ヲ問フ

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 二八七

注記 (28)

  • 1806,641,74,2215御袖を扣へて、此所き大事之場也と御諫申、人數をまとめ、重〓城兵來なと
  • 1104,632,76,2217次右衞門正次父子防戰討死なり、家康公扇之御馬印も、或家へ入て、赤旗は
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