『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.387

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へ者、心得候とて急キ御歸り候、扨城方七八萬程, 分り難きに、暫ク有て藤堂高虎の先手破軍いたし、横なたれに忠興君の御, 働候間、勝敗區々にして手負討死多く、はけしき戰涯也、馬烟立て敵味方も, 備の前へ參候時、村上縫殿助かゝり候はんと兩度申上候へ共、いまた早し, の方も備を立詰靜り居候處ニ、大坂方昇の内より武者貳騎馬を乘出し、壹, しく、味方之大將にて本多忠朝殿、小笠原兵部殿父子戰死、大坂方氣ニ乘て, 町程早道ニ乘輪をのけて又乘出して、七八町計り參候か、一人き見へ不申, かけ、寄手も相かゝりに懸て黒烟を立、追手搦手同時ニ取くさり挑戰はけ, 一人き跡ニ馬を早め、昇の内ニ入と其まゝ閧をあけ、茶臼山の勢をおろし, 四郎、續龜之助、和泉殿之内渡邊勘兵衞等御前ニ罷在、色々御咄之内、本多三, 床机にて、御側にき鳴海丹後、佐藤傳右衞門、乃美主水、佐方與左衞門、吉住半, 備へ候ニ、味方の大將逹、茶臼山の方ニ被向候内ニは、無理ニ戰ひを掛、岡山, 彌正重殿被參、越中殿〳〵、御所かとうか今日かゝらまいと召れ候と御申, あれき、忠興君、今日かゝらすは、敵より夜討する事有へく候まゝ、山入して, 茶臼山岡山ニ取續, 柵をふらせ可然候、同しくは早々御かゝり被成候樣ニ御申上候へと仰候, 八百程, 一ニ七, 東軍敗績, 細川隊ノ, 忠興本多, 撃ヲ勸ム, 進撃, 正重ニ進, 元和元年五月七日, 三八七

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  • 八百程
  • 一ニ七

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  • 東軍敗績
  • 細川隊ノ
  • 忠興本多
  • 撃ヲ勸ム
  • 進撃
  • 正重ニ進

  • 元和元年五月七日

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  • 三八七

注記 (26)

  • 1335,649,61,1423へ者、心得候とて急キ御歸り候、扨城方七八萬程
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  • 513,628,64,2227働候間、勝敗區々にして手負討死多く、はけしき戰涯也、馬烟立て敵味方も
  • 282,627,60,2225備の前へ參候時、村上縫殿助かゝり候はんと兩度申上候へ共、いまた早し
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