『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.442

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五月七日惣攻乃ときて、御〓, 本多正信, 〔寛政重修諸家譜〕, 本多正勝, て、諸人驚き騷く、正信おほきによはゝりて、前軍既に勝ときは、後軍乃〓ふ, 下に陣し、兩軍戰を接ふ〓了及ひて、味方乃後陣敗軍せりといふものあり, 者う、柄連之指物差たる武者鞭鐙ヲ合テ出向、其間數十間相隔テ馳引猶豫, 慶長十九年大坂乃役には、本, ろの馬の頭敵にやふられぬ, ○岡山方面ノ戰況、其二十本多正信竝ニ其組, 大坂兩度の御陣のと, 之處、已後鑓ヲ取直、打倒テ趨寄引組テ切其頭腕付甲ニ入テ、牧野右馬允陣, き、台徳院殿にしたのひたてくまつり、五月七日、天王寺邊にをひて、大敵の中, にせめ入いとみたゝつふ、爰にをひて敵敗走す、このとき正勝かのなとこ, 中え持參、右馬允、并駿河守一所〓令入見參、, れを論にることなつれと下知をつたへ、眞をすゝめしむ、これにより味方, 乃兵〓うやくしつまり、つゐに勝利を得たり、, 依田盛繁, 多佐渡守正信か手に屬し、元和元年の役にもしたかひたしまつり、首一級, 〔寛永諸家系圖傳〕, 〔寛政重修諸家譜, 出羽守、從五位, 源セ郎, 下、〇正純ノ子, 右馬助, 三百, 佐渡, 十四, 十三, 六百九, 守, 九十, 組, 同正勝, 依田盛繁, 本多正信, 元和元年五月七日, 四四二

割注

  • 出羽守、從五位
  • 源セ郎
  • 下、〇正純ノ子
  • 右馬助
  • 三百
  • 佐渡
  • 十四
  • 十三
  • 六百九
  • 九十

頭注

  • 同正勝
  • 依田盛繁
  • 本多正信

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 四四二

注記 (38)

  • 1320,2033,56,842五月七日惣攻乃ときて、御〓
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