『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.104

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兵たうやくしつまり、つゐに勝利を得たり、是よりさき加恩ありて、二万, たまふ、元和元年乃役にも扈從し、五月七日惣攻のときは、御麾下に陣し、, 隣とおなしく水戸におもむき、制法をさたむ、十九年、大坂御陣のとき、台, 兩軍戰を接ふるに及てひ、味方乃後陣敗軍せりといふものありて、諸人, とも、お〓く正信か謀によれり、のち仰によりて、内藤修理亮清成ととも, 論することなかれと下知をつたへ、兵をすゝめしむ、これにより、味方乃, に、關東諸勢の〓を奉行す、七年五月、佐竹義宣所領沒收により、大久保忠, せられ、正信及ひ男正純、成瀬正成、安藤直次等に命して、軍令を傳へしめ, 司とり、君臣乃間相遇こと水魚のことし、しか乃みならす、諷諫をたくこ, 驚き騷く、正信おほきによはゝりて、前軍〓に勝ときは、後軍のるふれを, 徳院殿にしたかひたてまつり、十一月十一日、二條城にをいて、軍事を議, 九州こと〳〵くたひらく、また眞田昌幸降參して、高野山に蟄居せしこ, 二千石を領し、兩御所に奉仕して、亂には軍謀にあつかり、治には國政を, にして、御親子乃間むつましく、また上下志を通せしむるに至るまて、其, 元和二年六月七日, 於ケル正, 大坂役ニ, 信, 元和二年六月七日, 一〇四

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  • 於ケル正
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  • 一〇四

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