『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.627

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越前の先手吉田修理ハ、逃敵を長追して、天滿川追越とて水に溺れて死候, 往左往ニ崩行、眞田左衞門佐も、安居の天神乃下へ押立られ、城へ掛入らん, 其外味方死傷不可勝計候, 懸り候ニ付、茶臼山ゟ庚申堂まて備たる眞田か勢一刃も合す押立られ、右, ノ丸堀際ニ追詰、木津今宮生玉勝曼院道頓堀東西に散亂して、勝負區々也, 近に被討候、水野日向守は、越前衆の懸り候を見て、早々大和組先手の衆懸, 黒門筋八町目を追越、天滿川端まて追討候、黒門筋大軍にて候ゆへ、天王寺, 勢同前ニ懸入、天王寺茶臼山の根を押込候、水野美作守は日向人數を召連, 私云、本多出雲守は相備の崩れ懸るを怒りて、百里といふ馬に乘、只一騎, と仕候を、越前勢追かけ、西尾仁左衞門に被討候、御宿越前は岡山より眞田, の石の鳥居を越し、左へ付、船場の道え懸り、水野日向守手廻り計にて乘込, り候へと下知被致候へとも、立不申候に付、日向守父子旗本備を以て、越前, 候、伊勢組菅沼織部一番ニ懸り候、敵味方入亂、或ハ京橋口へ追出し、或は西, 前手より軍始り、越前勢壹萬餘、吉田修理先掛にて、黒煙をけたて茶臼山へ, 方へ合戰の相談ニ參候途中にて、早合戰始り是も押立られ、越前勢野本右, 幸村ノ戰, ノ戰死, 水野勝成, 村隊ヲ破, 黒門口ニ, 御宿正友, 進ム, 忠直隊幸, 死, 元和元年五月七日, 六二七

頭注

  • 幸村ノ戰
  • ノ戰死
  • 水野勝成
  • 村隊ヲ破
  • 黒門口ニ
  • 御宿正友
  • 進ム
  • 忠直隊幸

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 六二七

注記 (26)

  • 509,631,57,2225越前の先手吉田修理ハ、逃敵を長追して、天滿川追越とて水に溺れて死候
  • 1675,636,59,2210往左往ニ崩行、眞田左衞門佐も、安居の天神乃下へ押立られ、城へ掛入らん
  • 393,626,57,787其外味方死傷不可勝計候
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