『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.708

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しか〳〵樣を尋〓問しに、彼御家に、日の光ます大御神より繪屏風給ひし, 寫し出せるものなるへし、はしめの二老人の物語と、此繪のなうと、かれと, 尉、富田嘉兵衞尉といふ兩人なり、もし其人の内にて、此圖かきてみやけに, し物は、我主家の祖出羽守義光朝臣の軍毎にものして、世々に傳へし故、東, なしつるにや、是また證據なしと答しり、然は正しくなにはほの御戰とも, 是を據へ合せておもひやるに、としはぬた百とせに近く、御代は十繼に餘, 世の事は夢にもしらす、大凡の文を讀てき、いにしへも今もかわらしとお, 武者も有ける覺束なし、又其御戰にまかり合しき、其頃の家臣武久庄兵衞, 定めかたかるへし、そはともあれかくもあれ、つら〳〵此繪を見るに、世の, り、四の民しらす〳〵帝の則に從ふといふ廣大の御徳化を蒙り、うかりし, 武者繪といへるものと事かはり、馬には馬具足かけ、人き素肌多く、其外に, 國にてき名を得し指物なり、然ともなにはぽの御戰にき、みつからまのり, 給はねは、主家の人にてはあらし、もし關西にてもおなし指物さしたりし, もかす〳〵のしかひあり、何の時か亂れしる世の人、己か見しやうを其儘, 寺の舊記なし、されとも此繪の中に五倫の差ものさしたる武夫あり、此さ, ノ指物二, 氏ノ五輪, メ難シ, ツイテノ, 圖中最上, 圖トモ定, 大坂陣ノ, 門ノ説, 考, 元和元年五月七日, 七〇八

頭注

  • ノ指物二
  • 氏ノ五輪
  • メ難シ
  • ツイテノ
  • 圖中最上
  • 圖トモ定
  • 大坂陣ノ
  • 門ノ説

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 七〇八

注記 (26)

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