『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.836

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申候、, 居申たる所へ突てかゝるへしと被申候、其時山城守, 房守ものを被遣候、存合候得者、敵方かと今は覺申候、, 一大坂岡山にて、七日の御合戰の時、道筋ニ大坂勢高見ニ黒山のことく相, たかとおもひ、先へはたらき申候、其刻城内ゟ馬上二きへ申付、兩御所樣, へは、兩人も一段尤之由、早速うけ申候、然所ニ筑前樣被成御座候ニ付て、, 三人の申分申上候得者、一段尤ニ候間、右へ廻し候へと御下知にて廻し, つれも魚鱗にして、一文字ニかかるへきと下知し給ふ、其時はやむかふ, ニて支へ可申候間、右之方へ廻し候なは如何と、安房守、閑齋へ談合申候, 武者の内より一人指出、安房守、はや城は落城と相見得申候、夫ニ付みか, 見へ申候、味方の人數も道筋高見ニ立申候、敵方の下は、たら〳〵おりに, て候、はしめは閑齋安房守三人の談合ニて、大坂勢道筋黒山のことくニ, へ、城は落城仕候間、御注進被成候ふ可然と申候う、筑前樣へ申上る、則安, 〓、少乘出し見申候得は、たら〳〵おりの下細道にて候條、此大人數細道, 大坂七日の御合戰の時、山城守殊之外はやり申候付て、御陣より罷歸り, 元和元年五月七日, 閑齋、安房守三人と, 前ニ有は山城守与, 元和元年五月七日, 八三六

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  • 閑齋、安房守三人と
  • 前ニ有は山城守与

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  • 八三六

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