『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.96

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

與市左衞門、後藤又兵衞、及びジユアン明石掃部の三人なりき、, 万の兵士及將校中精鋭なるものを失ひ、之に反し、秀頼は二三百人を失ひ, 明石掃部及び其の部下の外に、尚五畿内及北國の追放基督教徒の秀頼に, 内府樣は、耻辱の感に禁へず、急遽京都に赴きて新年の賀儀を行ひしが、將, 軍は秀頼の據れる大坂城外に留りて、親しく城壁の破壞を監視せり、而し, しに過きざりしが、今や結果は秀頼の爲めには、全然敗戰と同じかりき、秀, たゞ殘れるは何等防禦上價値なく、外觀に過ぎざる第三郭のみなりき、此, て外郭のみならず、第二郭をも破壞し、其の城櫓竝に前方防禦工事を毀ち、, スコの子息、右近殿の子息、竝に内府樣の同僚たりし三攝政の子息もあり, の處置は、心ある者をして〓を催さしめたり、此の戰爭に於て、内府樣は四, 頼の之を悟りしは、時既に遲かりしが、彼は之を救はんと決心して、新に軍, 兵を募り、五十人の部將を聘せしが、此の内には豐後の舊主ドン・フランシ, き、其の兵數は凡そ十七万人に達せしが、主將たるものは、前と同じく眞田, 加擔せしもの少からず、中にはジュスト右近殿の舊臣も混じ居たり、而し, て六〓の大旗に神聖なる十字架と救世主の像又は聖ヤコブの像を描き, 秀頼再擧, マタ入城, 耶蘇教徒, ヲ謀ル, 教徒ノ用, ヒシ旗, 城郭破壤, 元和元年五月八日, 九六

頭注

  • 秀頼再擧
  • マタ入城
  • 耶蘇教徒
  • ヲ謀ル
  • 教徒ノ用
  • ヒシ旗
  • 城郭破壤

  • 元和元年五月八日

ノンブル

  • 九六

注記 (24)

  • 501,606,60,1876與市左衞門、後藤又兵衞、及びジユアン明石掃部の三人なりき、
  • 1202,605,64,2215万の兵士及將校中精鋭なるものを失ひ、之に反し、秀頼は二三百人を失ひ
  • 386,609,66,2219明石掃部及び其の部下の外に、尚五畿内及北國の追放基督教徒の秀頼に
  • 1787,596,64,2224内府樣は、耻辱の感に禁へず、急遽京都に赴きて新年の賀儀を行ひしが、將
  • 1671,597,64,2226軍は秀頼の據れる大坂城外に留りて、親しく城壁の破壞を監視せり、而し
  • 1088,605,62,2223しに過きざりしが、今や結果は秀頼の爲めには、全然敗戰と同じかりき、秀
  • 1437,613,63,2213たゞ殘れるは何等防禦上價値なく、外觀に過ぎざる第三郭のみなりき、此
  • 1554,605,63,2230て外郭のみならず、第二郭をも破壞し、其の城櫓竝に前方防禦工事を毀ち、
  • 734,618,64,2210スコの子息、右近殿の子息、竝に内府樣の同僚たりし三攝政の子息もあり
  • 1319,609,65,2213の處置は、心ある者をして〓を催さしめたり、此の戰爭に於て、内府樣は四
  • 969,601,66,2226頼の之を悟りしは、時既に遲かりしが、彼は之を救はんと決心して、新に軍
  • 852,608,63,2206兵を募り、五十人の部將を聘せしが、此の内には豐後の舊主ドン・フランシ
  • 619,606,61,2221き、其の兵數は凡そ十七万人に達せしが、主將たるものは、前と同じく眞田
  • 267,613,65,2210加擔せしもの少からず、中にはジュスト右近殿の舊臣も混じ居たり、而し
  • 149,619,67,2211て六〓の大旗に神聖なる十字架と救世主の像又は聖ヤコブの像を描き
  • 994,234,42,170秀頼再擧
  • 378,248,40,160マタ入城
  • 420,237,42,173耶蘇教徒
  • 952,240,41,108ヲ謀ル
  • 171,239,41,175教徒ノ用
  • 128,247,42,124ヒシ旗
  • 1793,229,43,174城郭破壤
  • 1901,671,44,336元和元年五月八日
  • 1911,2401,41,76九六

類似アイテム