『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.243

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る所の黄〓をかへし奉りて自害し、左近も御馬印を返し置て腹切しよし、, るとて、道さへ案内知りけんはいふかしき事也、すてに東都御城内出火の, たれと、御膳抔獻する樣も、かる〳〵しく覺ゆ、されとこれらは大平日いま, 僅に其辱をかくせしにや、かゝるさたにて、とかくに御和睦の事ゆかさり, 印は、冬夏兩陣ともに津川左近親行か司る所也、此際に婦女の手をかりて, 也、元より大坂一城と成りては、大閤御代とは、よろつ手せまくなりたるへ, し、時運とはいひなから、うたてかりし事也、此時御籏奉行郡主馬良則は、預, 御指圖にて、御臺所口迄の一通り疊を裏かへして、道の目標とせられしに, 諸書にのせたり、何れろまさしきや、われは爲に菊女かはなしの實ならん, 事をはつる也, 方も能見ゆるを知りて出たるも、淺間なる事成べし、ことには城内を逃出, て、やう〳〵難をまぬかれたり、今は御用聞の疊屋にて此役蒙る抔とも云, 時、大奧の女中度方にくれて出る所を知らず狼狽したりしをは、伊豆守殿, だ久しからさる故ともいふべし、それよりもいぶかしきは、秀頼公の御馬, なるへたれと、今にては似氣なき樣に思はれ、千疊敷の御椽側へ出れは、何, 元和元年五月八日, 二四三

  • 元和元年五月八日

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  • 二四三

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  • 488,632,70,2234る所の黄〓をかへし奉りて自害し、左近も御馬印を返し置て腹切しよし、
  • 1665,630,63,2216るとて、道さへ案内知りけんはいふかしき事也、すてに東都御城内出火の
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