『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.263

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

秀吉公御朱印, 増田右衞門尉、石田治部少輔、山中山城守可申也、, 被悦思食候、猶西尾豐後守可申也、, 郎ニ被仰含候、今度上以割是又具可相達候、彌勵靜謐之不可有氣遣候、猶, 毛利豐前守殿, 高麗へ爲御使渡海之由、苦勞段不被及是非候、次犬一疋到來、寔遠路志事, 爲當番手相殘義、打續辛勞之至候、其許樣子慥被聞召屆候、委曲岡田勝五, 毛利豐前守とのへ, 八月廿八日〇, 三月廿四日()秀次公也, 秀次公也、, 田平七、甚亟ともに從弟也、, 朱印, 玉わる、大野修理、豐前守、宮, ○秀吉, 清雲院殿へ願暇を玉はり、母は其ま奉公し、女は秩父縫殿介といふ有徳, 女子母とは上り者と成て、江戸に下り、於夏女郎に被下、去るものゝ子成れ, の民に嫁せしむ、後に母も此所に養ふ、甚亟は松平伊豆守に被召出、六百石, は、目をつけて仕候へとあり、豐前守殿大坂にて戰死の時、家臣從弟の宮田, 入、元和元年戰死、〓子式部同死ス、二男藤兵衞は、京都に首を刎らる、二歳の, 甚亟に、此女子の事虎言置し故、甚亟大坂を落て、方々尋、數年の後、此事を聞, 田平七、甚亟ともに從弟也、, 秀次公也、, 元和元年五月八日, 二六三

割注

  • 朱印
  • 玉わる、大野修理、豐前守、宮
  • ○秀吉
  • 清雲院殿へ願暇を玉はり、母は其ま奉公し、女は秩父縫殿介といふ有徳
  • 女子母とは上り者と成て、江戸に下り、於夏女郎に被下、去るものゝ子成れ
  • の民に嫁せしむ、後に母も此所に養ふ、甚亟は松平伊豆守に被召出、六百石
  • は、目をつけて仕候へとあり、豐前守殿大坂にて戰死の時、家臣從弟の宮田
  • 入、元和元年戰死、〓子式部同死ス、二男藤兵衞は、京都に首を刎らる、二歳の
  • 甚亟に、此女子の事虎言置し故、甚亟大坂を落て、方々尋、數年の後、此事を聞
  • 田平七、甚亟ともに從弟也、
  • 秀次公也、

  • 元和元年五月八日

ノンブル

  • 二六三

注記 (25)

  • 1454,758,56,415秀吉公御朱印
  • 1101,686,67,1451増田右衞門尉、石田治部少輔、山中山城守可申也、
  • 514,691,61,1011被悦思食候、猶西尾豐後守可申也、
  • 1220,686,67,2163郎ニ被仰含候、今度上以割是又具可相達候、彌勵靜謐之不可有氣遣候、猶
  • 871,1273,56,418毛利豐前守殿
  • 630,689,69,2159高麗へ爲御使渡海之由、苦勞段不被及是非候、次犬一疋到來、寔遠路志事
  • 1337,687,65,2159爲當番手相殘義、打續辛勞之至候、其許樣子慥被聞召屆候、委曲岡田勝五
  • 286,1271,56,545毛利豐前守とのへ
  • 959,911,113,563八月廿八日〇
  • 380,905,100,858三月廿四日()秀次公也
  • 411,1497,43,271秀次公也、
  • 1555,620,47,782田平七、甚亟ともに從弟也、
  • 973,1495,40,113朱印
  • 1601,622,45,778玉わる、大野修理、豐前守、宮
  • 1019,1500,41,182○秀吉
  • 1718,618,53,2221清雲院殿へ願暇を玉はり、母は其ま奉公し、女は秩父縫殿介といふ有徳
  • 1908,620,50,2207女子母とは上り者と成て、江戸に下り、於夏女郎に被下、去るものゝ子成れ
  • 1673,625,54,2209の民に嫁せしむ、後に母も此所に養ふ、甚亟は松平伊豆守に被召出、六百石
  • 1837,627,50,2212は、目をつけて仕候へとあり、豐前守殿大坂にて戰死の時、家臣從弟の宮田
  • 1953,616,51,2203入、元和元年戰死、〓子式部同死ス、二男藤兵衞は、京都に首を刎らる、二歳の
  • 1790,620,51,2224甚亟に、此女子の事虎言置し故、甚亟大坂を落て、方々尋、數年の後、此事を聞
  • 1555,620,47,782田平七、甚亟ともに從弟也、
  • 411,1497,43,271秀次公也、
  • 175,695,48,345元和元年五月八日
  • 185,2436,47,118二六三

類似アイテム