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と申候、, け來申樣に相見へ候間、備を二ツに取切られ候はゝ、あやうく可有之と存, をまらす敗軍仕候由申候へハ、直孝御申候は、其赤備は某しニて候ひつる, 候、御老中何〓御出、御挨拶をは、掃部頭殿被成候、長曾我部申候は、六日の朝, 御玄關に被爲置、御小人衆の不斷罷在候御番所のかうしに、御小性衆一兩, 合戰ニは、余程勝申候樣ニ存し候處ニ、不存寄左の備ゟ、赤備人數を押向か, 人たゝせ置、其かけより台徳院樣被遊上覽候、永井彌右衞門繩をひかへ申, 候處へ、敵ほよく働、譜代のもの共六七人ほと、其場にて討死仕候ニ付て、備, の樣子を能承り候、長曾我部申候は、右の仕合故、人數御座なく候〓、七日ニ, と御申候、則御前ニも被爲聞合候、此段き私彌右衞門と側に罷在候間、前後, を、蜂須賀阿波守家來見出し、からめ候て、伏見の御城へ差越申候、則御城の, は天王寺表へは不罷出、京橋口に罷在り、惣敗軍を見申候へて敗軍仕り候, リ、伊賀守屋敷ニ預ケ能痛ワリ、終ニ死刑ニ及ベバ、公卿ニスハリ獄門ニ掛, 〔石谷土入記〕長曾我部は八幡近所橋本の蘆原に、御合戰以後隱れ居申候, ル、, 盛親戰敗, ノ理由ヲ, 秀忠盛親, フ見ル, 語ル, 元和元年五月十五日, 四二五
頭注
- 盛親戰敗
- ノ理由ヲ
- 秀忠盛親
- フ見ル
- 語ル
柱
- 元和元年五月十五日
ノンブル
- 四二五
注記 (22)
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- 756,627,71,2214をまらす敗軍仕候由申候へハ、直孝御申候は、其赤備は某しニて候ひつる
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