『大日本史料』 12編 20 元和元年五月 p.530

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ふろ、右の若君の樣子こ〳〵と白状いたし候故、御所樣ゟ尋可申由、方々, かぬろニて若君ニ付申候、夏陣の時、五月八日迄、秀頼公御袋と一所ニ御さ, 申候所、同五月廿二日、右の材木屋ゟ若君をつれ、伏見町奉行へ出申候、則若, 被有候若狹と銭と申もの、若君へ參候へは、何も御おぢと申候間、此ものニ, 候て、何とそして落し候へとの事にて、秀頼公御親子と御暇の御盃被成、田, 狹と發親子ニ御見せ被戌候へは、若君其儘若狹ときニ御取つき候故、うた, 中六左衞門并御守の後家、右のかふろ、以上三人御供いたし、若君京橋すし, ニて六左衛門も被拂、彼後家は雅樂殿家來衆取ものにいたし、若君は加賀, 御尋可被成候由申候て、則若狹と發親子御せんさくにあい、町中へ被預居, へ被仰渡、板倉伊賀守殿ゟ京伏見御尋被成候處ニ、彼かふろ申候者、伏見ニ, 處、腹中御煩候故、伏見の加賀衆宿材木やニ預ケ置き申候、青山殿ニて、彼か, 衆へ取申候、右のかぶろ、青山伯耆殿へ取申候、其後若君を伏見迄つれ參候, それゟ若君を牧方迄落し申候處ニ、牧方おさへに妻木雅樂頭被居候故、爰, 堤まて御出候へは、もはや秀頼公の御座候しんせう藏ニ火の手上り申候、, かへ無之、それゟ板倉伊賀殿へ若君を渡し、若狹とき親子も、伊賀守殿へ召, 方ニテ捕, 國松等枚, ハルトノ, 説, 元和元年五月二十三日, 五三〇

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  • 方ニテ捕
  • 國松等枚
  • ハルトノ

  • 元和元年五月二十三日

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  • 五三〇

注記 (21)

  • 869,635,66,2210ふろ、右の若君の樣子こ〳〵と白状いたし候故、御所樣ゟ尋可申由、方々
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