『大日本史料』 12編 22 元和元年七月~同年九月 p.525

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功有之といへとも、萬事我儘人ニ〓御取立無之ニ依た、不足有之、浪客と成, 院殿と號す、, 人たた〳〵一手の將となり給へとも、如何して軍を備へ戰をなすへきを, 引の手を引、胸を打貫自殺、元和元年乙卯年七月廿四日也、時に五十歳、良月, き木崎殿といふ、木崎殿は東照宮の御妹市場殿の娘なり、金彌所々ニ〓武, ありし處、元和元年大坂夏御陣之節、本多佐渡守を以御供被相願、則上總介, を手合無之、本意なく被存、歸路信州洗馬ニ〓、鐵砲ニふ二ツ玉を込、足ニ, 市場殿化粧田上州木崎と云所百五拾石有之を、金彌殿え被進、木崎え引籠, 忠輝卿之手に付、大坂え被相越候處、上總介殿大坂御不首尾故に、金彌殿ニ, せし事なく、師を簡ひ兵を治たる人なかりし故、啓殿振旅の方をしらす、〓, 佐竹義宣、伊達政宗、最上家親、鷹ヲ家康ニ獻ズ、尋デ、細川忠興、織田常, と語りき、, 辨さりしほとに、無案内の事はかり也しと、當時世に沙汰し侍る由聞侍る, 親能父を五郎兵衞親直と云、親, 直父を上野介親廣と云、三州長澤城主備中守親則七代之孫也、金彌親能字, 〔松平金彌親能由緒書〕, 八百十六所載, ○朝野舊聞長稿, ○下, 略, 忠輝ニ屬, シ功ナキ, 松平親能, ヲ〓ヂテ, 自殺ス, 元和元年九月十日, 五二五

割注

  • 八百十六所載
  • ○朝野舊聞長稿
  • ○下

頭注

  • 忠輝ニ屬
  • シ功ナキ
  • 松平親能
  • ヲ〓ヂテ
  • 自殺ス

  • 元和元年九月十日

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  • 五二五

注記 (27)

  • 1105,652,57,2227功有之といへとも、萬事我儘人ニ〓御取立無之ニ依た、不足有之、浪客と成
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