『大日本史料』 8編 1 応仁元年正月~同2年7月 p.11

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と倶に能行ひを, ひく、諸人感賞して已ざりしとなむ、, 年六十八にして、石橋の能行ひしが、其勇壯な多に、見な人目を驚し舌を振, まつれな事ななが、別て觀氏一人、四海浪の祝章つかへまつれる事は、いと, 貞親を招請の時、元重子息又三郎正盛と倶に能樂行ひぬ, も愛たき例なりき、寛正四年四月十六日、赤松次郎法師丸の宅へ伊勢守平, 日數三日の間, 家に、毎年正月三日、御謠初の規式行はを給ひく、三座の徒衆諸倶にすか〓, 同じく九月二十五日、南都一乘院の御所にて御能行はせ給ふに、四座, 三月九日、花見の御游として御院參ありしに、御能奏らしめ給ふ、此時元重, 同じく五年四月、洛東糺河原にて鞍馬山青松院法印勸進として、, 能樂行へるに、元重年六十七にして、子息又三郎正盛, 同じく六年, 一四左みをの何笛あ堂一, 十十門て撃〓又〓智日, )院中猿樂ノコトソノ條アリ、參看ス, 義政の母堂勝智, ハ見, 此糺河原勸進能の事は、四世正盛の譜に委し, 今年八月十八日、, シ、但シ元重石橋ノ能ヲ行ヒシコト, 五日七, 具面々は齋藤治部少輔、同朋壽阿彌、佐々木治部少輔、觀世座彌三郎、笛吹又, エズ, 日十日, 六、日蓮黨の僧日親坊等、其余數し〓ずと云ヘま、そを是らの人々は、何なふ, 院殿の孝養として、非常の大赦行はしめて、罪科の人共あまた赦免あり, 〓をか、犯し〓む知〓のらず、此内に觀世座彌三郎とあなは、則元重の弟, て、後に連阿彌と云へり、彌三郎は幸松三郎が聟にして、同じく太鼓をば撃, 2、また笛吹又六とあるは、笛師智賀比氏が弟子なる美濃又六が事にして, く記をり、〓七田甘日ノ條ニ乃〓、參看〓ベシ, 即先王太夫と云し者の親なり、まき、又六が子は一六といいて、日吉佐衞門, 三日條, 尉國之に笛をば習え金、〓至〓ヽ刺〓那三係等〓罪ヲ〓ひ〓日〓〓p月〓, ベシ、, コ正て六く則人彌と政年, 看ス, 〓〓、○政則、能築ヲ其第行ヒシコト寛正四年四月, 勸進能ヲ, 赤松政則, ノ第ニ技, 張ル, ヲ演ス, 〓河原ニ, 南都一乘, 院ノ四座, 應仁元年正月二日, 一一

割注

  • )院中猿樂ノコトソノ條アリ、參看ス
  • 義政の母堂勝智
  • ハ見
  • 此糺河原勸進能の事は、四世正盛の譜に委し
  • 今年八月十八日、
  • シ、但シ元重石橋ノ能ヲ行ヒシコト
  • 五日七
  • 具面々は齋藤治部少輔、同朋壽阿彌、佐々木治部少輔、觀世座彌三郎、笛吹又
  • エズ
  • 日十日
  • 六、日蓮黨の僧日親坊等、其余數し〓ずと云ヘま、そを是らの人々は、何なふ
  • 院殿の孝養として、非常の大赦行はしめて、罪科の人共あまた赦免あり
  • 〓をか、犯し〓む知〓のらず、此内に觀世座彌三郎とあなは、則元重の弟
  • て、後に連阿彌と云へり、彌三郎は幸松三郎が聟にして、同じく太鼓をば撃
  • 2、また笛吹又六とあるは、笛師智賀比氏が弟子なる美濃又六が事にして
  • く記をり、〓七田甘日ノ條ニ乃〓、參看〓ベシ
  • 即先王太夫と云し者の親なり、まき、又六が子は一六といいて、日吉佐衞門
  • 三日條
  • 尉國之に笛をば習え金、〓至〓ヽ刺〓那三係等〓罪ヲ〓ひ〓日〓〓p月〓
  • ベシ、
  • コ正て六く則人彌と政年
  • 看ス
  • 〓〓、○政則、能築ヲ其第行ヒシコト寛正四年四月

頭注

  • 勸進能ヲ
  • 赤松政則
  • ノ第ニ技
  • 張ル
  • ヲ演ス
  • 〓河原ニ
  • 南都一乘
  • 院ノ四座

  • 應仁元年正月二日

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  • 一一

注記 (48)

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