『大日本史料』 12編 23 元和元年十月~元和二年正月 p.262

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母及も弟祐秋とゝもに、祐慶か封地に住す、, のゝち、其地に生れ、伊東を稱す、, とも、御下向のゝち、浮ゐに京わらんたの口にかゝり、洛より下りしもの, さきに成瀬豐後正武、罪, もまた駿府にをいても、こはれを風説すといへとも、けたかに誰とこれを, 日供奉の輩を糺明あるのところ、正武、吉久なること露顯せしにより、吉, まふ、妻は山口修理亮重政か養女、後妻は伊東豐後守祐兵か女、, さゝす、すてにして東照宮の御聽に達し、頓て江戸にも聞えしかは、だの, 母及ひ祐正を外戚伊東修理大夫祐慶に給ひ、祐正後家號を伊東に改め, 久をは土井大炊頭利勝にめし預第られ、正武は安藤對馬守重信にあつ, より、ワかき女房等あまた出、こはれを見な、このことしよものなしといへ, 祐正母は祐兵か女なり父事あるの時、成瀬隼人正正成かこはも申により、, 〔寛政重修諸家譜〕, 邊られ、十一月二十七日、吉久は新知恩寺、正武は吉祥寺において死を〓, 祐秋父死をたまふのときは、祐秋、母か胎内にあり、其母祐慶か封地に行, ありて死をたまひしかは、三年二月、正武か妻をよひ男虎之助某を祐慶に, 伊東祐慶, 元和元年十二月二十七日, 八百九, 理大夫, 左京亮、修, 十二, 成瀬祐正, 慶二養ハ, 氏ヲ伊東, 正武ノ妻, 子伊東祐, ニ改ム, 孫伊東氏, 正武ノ子, ノ家臣ト, 宮ニ抵ル, 二六二, 宮ニ抵ル

割注

  • 八百九
  • 理大夫
  • 左京亮、修
  • 十二

頭注

  • 成瀬祐正
  • 慶二養ハ
  • 氏ヲ伊東
  • 正武ノ妻
  • 子伊東祐
  • ニ改ム
  • 孫伊東氏
  • 正武ノ子
  • ノ家臣ト
  • 宮ニ抵ル

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  • 二六二
  • 宮ニ抵ル

注記 (34)

  • 651,702,58,1302母及も弟祐秋とゝもに、祐慶か封地に住す、
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