『大日本史料』 12編 23 元和元年十月~元和二年正月 p.290

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同二丙辰年、去年の不作ゆへ、今年も大飢饉にて、正月のころより、町在所々, 俵かき送の小舟にて、五日か間に、三月五日に鰺ケ澤へ積下り著岸仕候、同, を不被召上、三日の間黒大豆はのり被召上候旨申傳候、御前樣御料米はか, て命をつきまかり有候ものも有之候、御城中にても、此節屋形樣にも米飯, 凶年に候ゆへ、餓死の至て多く在々に御坐候、, り貯置候て、御前樣の御膳計、漸々米の御飯を被召上候よし、其外の人々は、, も、御國中に米一切御坐なく、勿論商賣米ならひ家々にも、貯米とては猶以, に餓死の倒れもの甚多く御坐候よし、その頃は何程の代にて調申度候て, 皆々蕨の根餅、煎大豆はかりを被下、御番等相勤被申候事、十四五日の間に, へ被仰上、御米一万俵御拜借に御座候、然ル處へ、押付越後より越後米二百, し、又は沼なとの底の根芹或は川骨、ひしの根なととり候て、漸々雪消候ま, 月七日に、又七百俵積下り申候、六人乘の商人舟の商米、鰺ケ澤へ著岸いた, にて餓死人多く、町在爰かしこに空家はかり數多出來申候、後には御城邊, 御坐候よし、その餘は貴賤ともに米飯を給候こと一切不相成候、依之上樣, て御坐候ゆへ、飢〓倒死のもの日に増長いたし、雪の下の草の根をほり出, 米到著, 餓死ノタ, メ空家多, 越愛ヨリ, 翌年モ不, 作, 元和元年是歳, 二九〇

頭注

  • 米到著
  • 餓死ノタ
  • メ空家多
  • 越愛ヨリ
  • 翌年モ不

  • 元和元年是歳

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  • 二九〇

注記 (23)

  • 1699,644,66,2213同二丙辰年、去年の不作ゆへ、今年も大飢饉にて、正月のころより、町在所々
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