『大日本史料』 12編 24 元和二年二月~同年四月 p.65

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やかた樣御上之義、景勝、政宗御のほり次第ニ、御のほり候て可然由、佐渡殿, 用奉行慥なる仁兩人つけおかれへき由、御意之由、右近殿被仰候、御のほり, 右衞門は一昨晩御暇を申、昨日はつ田めなる崎とたり野ニ參候、院内銀山, 四郎、岡半之允、川井角介、八木作介、鹿子畑正介、それかし、以上拾七騎被仰付, ニ三番共可被仰付とて、今晩之御書立は被差置候、, の義、重な御催促なき間は、それかしも安樂寺ニて急承候得と御意候由、半, ニ、右近殿御申ニは、騎馬數すくなくめしつれられ候はゝ、三番ニ被仰付候, 二日、江戸御供御書立、小場小傳次、小野右衞門、佐藤雅樂允、玉生八兵衞、岡市, 候、其外駄輩衆數多有之由及承候、就之右近殿を以、それかしニ被仰下樣子, 御意之由、次兵衞殿ゟ被仰越候、就之御供衆御書立、右近殿へ御渡被成候處, 右衞門、田中豐前、同杢、川井佐太夫、黒澤勝太夫、久賀谷外記、川井傳吉、和田半, 門所ニて仕らせ、半右衞門ニ折々見候〓、差圖いたし候へと御意之由、御算, 樣ニと、下〳〵存寄躰御披露ニ候へは、明日御積りなしおかれ、六月かはり, 御算用に可被付置候得共、江戸へ有御用被召連候間、御算用之儀は、半右衞, 〔佐竹家臣梅津主馬政景日記〕四二月朔日、戸村十太夫從江戸被罷歸候、, 算用奉行, 院内銀山, 佐竹義宣, 元和二年二月二日, 六五

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  • 算用奉行
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  • 佐竹義宣

  • 元和二年二月二日

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  • 六五

注記 (20)

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