『大日本史料』 12編 24 元和二年二月~同年四月 p.385

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大に迷惑致しきるが、所詮古郷の義なれは、岡崎へ立歸り、不屆と有て、死, しる仁有之候、元來は淨土宗ニ〓候處ニ、改宗被致、一向宗に成り居られ, ら、あのことく成早業なる他國者と、差置ぬがよき也、路金を取らせ、暇を, 堀へ取落され候を見て、右の又四郎、土手へ飛下り、水際迄落つかぬうち, 候は、徳川家共、只今は入魂の義なれは、參〓者も我々の味方とは言なか, 候、折節一向宗反逆の義出來之砌、旦那寺え一味候〓、御敵對被申、御和談, 公に出勤居申内、信長公堀廻りの供に出候處ニ、信長公〓たたへる枝を, 杖を取落候を、取あけ候徒之者之義は、見馴さる男なれは、定〓新抱の者, 座有之義を、誰も存たる者も無御座候と也、然れ共御力もつよく被成御, 座たると申に紛無御座候、子細は三河御譜代衆の中に、石川又四郎う申, 二ふ有へし、名をは何と言、何國出の者ニて有だ、尋候樣ニと有之、吟味之, に其杖を取て差出し候と也、其夜信長公御申被戌候は、今晝堀廻りの節, 遣候樣ニとの儀ニ〓、金子五兩給り、尾州之内を追拂被成候を以、又四郎, 處、生所は參州生の者、石川又四郎う申者ニて候と有之ニ付、信長公御申, 已後、御家を立去り、所々方〳〵流浪致、後ニは尾州へ行、織田信長へ從、奉, 元和二年四月十七日, 家康ハ力, 強シ, 元和二年四月十七日, 三八五

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  • 家康ハ力
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  • 元和二年四月十七日

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  • 三八五

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  • 274,727,59,2147大に迷惑致しきるが、所詮古郷の義なれは、岡崎へ立歸り、不屆と有て、死
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