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可成、又楠の有邊をなりとるといふ、成門の誤か、同書ニ云、, 、此社いつ頃退轉したるや不知、鐘, 配所に被成と也、後ニ有天神の社は、則安樂寺の鎭守可成, いふ、神前ニ有大杉の本より東へ通る所を寺家と言、安樂寺の脇坊有し故, ハ眞如寺間廊の北に懸て有鐘也、此寺の仁王は、今常惠寺へ移されたりと, 沢人一藝有者は、御助被成候間、出候樣ニ御觸有之、數マ世〓出申候、其蒔郡, 不知と被申候、其時私者家里伊賀守と申者にて候、秀頼公の御使ニ參申候, 者〓、家里の家傳にて、眼病療治致乃る、其趣を申立出候と語しを、深尾氏家, 、〓、初〓如くの志を起り不申、命を全ふするの念計起申内、天下より大〓, 秀頼公御意ニ、近々御籠城被成候間、御味方ニ被參候樣との〓日止を亜, を移寺にて、天神の社の西當被成、此所メ, 先年國老深尾氏, は宰府の安樂寺, も、夫故天神の社有るなるべしといへり, 谷眞朝の考、安寺, 〓顏〓と買喰に致し、露命をつなき申、夫まては今一度運を開き、本望を達, 伊賀守と申、秀頼公に仕ヘ、大坂籠城致たる者也、拙者大坂陣の前、毛利豐前, の小倉の町人といつはり、配所へ參、案内しにるは、私義い御在所小陰〓町, 役落城致、身の置所もなく、或寺へ參、堂の脇の下にて、十日計も潛居、忍ひ, にて在勤の内、家里何某といふ周送者來り語りるは、〓者事ト、元炎〓鯉, 人にと候、御機嫌伺に參上仕たりと申候へは、豐前守殿逢れし、其時豐前〓, 〓〓、初〓如くの志シ起り不申、命を全ふするの念計起申内、天下より大坂, 先祖、, し度存候に、其後町人の手汲ニ入、當時口を養て飢を助サ、夫はは心法宮, 候、常々御臺所へ八百屋物上候者にて御座候、御機嫌伺候樣ニ、親共申付候, 〓事なれは苦しっるまし、今夜は此方ニ一宿させ、明日〓し可申と被申, 即、本の町人のあしらひにて、路銀に致候へとて、文匣の内なり、〓わを, 〓澗ヽ殷江戸御供, 故、參上仕候と申にれば、成程見た樣ニも有と被申、扨番之士〓被申い、町人, 殿被申候は、汝は何者そ、此方ニは不覺と被申候故、私義い八百3〓て御◆, 〓られ候、其後誰も居不申時、豐前守殿被問候は、其方は誰人〓、我等や實, 〓銀を手に一はいすくて賜候、夫より拙者は直に大坂へ登り、籠城致候、其, 浪人一藝有者は、御助被成候間、出候樣ニ〓觸有之、數マ世〓出申候、其〓〓, 〓、御書を差出候、豐前守殿御書を頂戴被致、奉畏候と御受ニて、扨翌日歸候, 秀頼公御意ニ、近々御籠城被成候間、御味方ニ被參候樣ニとの〓日上を申, 不知と被申候、其時私者家里伊賀守と申者にて候、秀頼公の御使ニ參申候, 〓〓、家里の家傳にて、眼病療治致はる、其趣を申立出候と語しを、深尾氏家, 遣シテ勝, 秀頼使ヲ, 永ヲ招ク, 元和元年五月八日, 二六一
割注
- を移寺にて、天神の社の西當被成、此所メ
- 先年國老深尾氏
- は宰府の安樂寺
- も、夫故天神の社有るなるべしといへり
- 谷眞朝の考、安寺
- 〓顏〓と買喰に致し、露命をつなき申、夫まては今一度運を開き、本望を達
- 伊賀守と申、秀頼公に仕ヘ、大坂籠城致たる者也、拙者大坂陣の前、毛利豐前
- の小倉の町人といつはり、配所へ參、案内しにるは、私義い御在所小陰〓町
- 役落城致、身の置所もなく、或寺へ參、堂の脇の下にて、十日計も潛居、忍ひ
- にて在勤の内、家里何某といふ周送者來り語りるは、〓者事ト、元炎〓鯉
- 人にと候、御機嫌伺に參上仕たりと申候へは、豐前守殿逢れし、其時豐前〓
- 〓〓、初〓如くの志シ起り不申、命を全ふするの念計起申内、天下より大坂
- 先祖、
- し度存候に、其後町人の手汲ニ入、當時口を養て飢を助サ、夫はは心法宮
- 候、常々御臺所へ八百屋物上候者にて御座候、御機嫌伺候樣ニ、親共申付候
- 〓事なれは苦しっるまし、今夜は此方ニ一宿させ、明日〓し可申と被申
- 即、本の町人のあしらひにて、路銀に致候へとて、文匣の内なり、〓わを
- 〓澗ヽ殷江戸御供
- 故、參上仕候と申にれば、成程見た樣ニも有と被申、扨番之士〓被申い、町人
- 殿被申候は、汝は何者そ、此方ニは不覺と被申候故、私義い八百3〓て御◆
- 〓られ候、其後誰も居不申時、豐前守殿被問候は、其方は誰人〓、我等や實
- 〓銀を手に一はいすくて賜候、夫より拙者は直に大坂へ登り、籠城致候、其
- 浪人一藝有者は、御助被成候間、出候樣ニ〓觸有之、數マ世〓出申候、其〓〓
- 〓、御書を差出候、豐前守殿御書を頂戴被致、奉畏候と御受ニて、扨翌日歸候
- 秀頼公御意ニ、近々御籠城被成候間、御味方ニ被參候樣ニとの〓日上を申
- 不知と被申候、其時私者家里伊賀守と申者にて候、秀頼公の御使ニ參申候
- 〓〓、家里の家傳にて、眼病療治致はる、其趣を申立出候と語しを、深尾氏家
頭注
- 遣シテ勝
- 秀頼使ヲ
- 永ヲ招ク
柱
- 元和元年五月八日
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- 二六一
注記 (42)
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