『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.103

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らく、ここにより義弘か子家久、伏見にいたりく罪を謝す、こゝにをいて, ち、嶋津義久、義弘等、薩摩にありて上洛さす、正信誓書をゝくり、其心を和, 乃とき、したかひたてまつり、朝倉か兵にむかひ、敵中に入くいとみたゝ, たまふ乃とき、一万石をた〓〕ふ, 多忠勝、及ひ正信等をめして商議せられ、まつ三成等を御征伐あるへし, とて、これより軍を旋した多ふ、ときに台徳院殿は、眞田昌幸か籠れる上, に參候す、五年六月、東照宮、上杉景勝御征伐乃とき、したかむたくま〓り、, かふ、天正十四年五月、從五位下佐渡守に敍任し、十八年、關東にうつらさ, まて仕へたくまつり、のち〓近して、政議にあつかる、元龜元年、姉川合戰, 田城をせめたまふにより、扈從し信濃國におもむく、關原乃役終る乃ゝ, 下野國小山にいたる、とよに石田三成叛逆乃告あおにより、井伊直政、本, ず、このとき正信關東にあおのところ、召に應して、諸士とおなしく伏見, 慶長四年、石田三成、増田長盛等姦謀を企く、上方穩かなら, 賀國に住す、のち高木九助廣正をして、おほせをかうふり、ふたゝひめさ, 元和二年六月七日, 按するに、天正分限帳、上野國八幡にをい, しるす、いつれ, て、一万石を領せしよし見えたり、しか〓, か詳ならす、, とも或書に、上總國八幡にして、五千石を領すとありて、其餘の地名を, るさす、また或書には、下總國佐倉といひ、官庫乃記録には、相模國甘繩, 關ケ原戰, ニ於ケル, 正信, 一〇三

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  • 按するに、天正分限帳、上野國八幡にをい
  • しるす、いつれ
  • て、一万石を領せしよし見えたり、しか〓
  • か詳ならす、
  • とも或書に、上總國八幡にして、五千石を領すとありて、其餘の地名を
  • るさす、また或書には、下總國佐倉といひ、官庫乃記録には、相模國甘繩

頭注

  • 關ケ原戰
  • ニ於ケル
  • 正信

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  • 一〇三

注記 (25)

  • 304,743,64,2149らく、ここにより義弘か子家久、伏見にいたりく罪を謝す、こゝにをいて
  • 419,739,66,2140ち、嶋津義久、義弘等、薩摩にありて上洛さす、正信誓書をゝくり、其心を和
  • 1707,746,59,2127乃とき、したかひたてまつり、朝倉か兵にむかひ、敵中に入くいとみたゝ
  • 1474,742,57,916たまふ乃とき、一万石をた〓〕ふ
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  • 1589,746,62,2132かふ、天正十四年五月、從五位下佐渡守に敍任し、十八年、關東にうつらさ
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