『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.177

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まひ、また鎌倉を遊歴すへきのむね仰ありて、鵜殿兵庫助長秀を副らる、, 夫より駿府に至りて、東照宮にまみゑたてまつり、御鷹、馬等をたまふ、十, 在家をやきはらひ、五月七日落城のとた、首六百二十一級を得てたてま, り、こふて姫路におもむく、このとき吉岡助光乃御刀をたまはる、六月六, ちあたへらる、其後襲封を謝せんかため、江戸駿府に至りて拜〓し、東照, 御刀、左安吉の御脇指を拜賜し、暇まうすのとた、御鷹、馬、御服、白銀等をた, 日、遺領を繼、このとた弟忠繼に、播磨國のうち六粟、佐用、赤穗三郡をわか, を下され、時服白銀等を賜ぬ、十八年、輝政封國にありて、病にかゝるによ, の役に、尼崎に出張し、神崎の川をわたり、敵數十人を討捕〓、また中津川, 指を拜受す、十四年、男光政か生誕をおこしめされ、上使牧野豐前守信成, 三年、いとなたまはりて、備前國に赴くのとた、台徳院殿より、行光の御脇, の御稱號をたまはり、武藏守にあらたむ、ときに長光乃御太刀、來國光の, 宮より御馬をたまひ、台徳院殿より志津の御刀をたまはる、十九年、大坂, をわたして、天滿口にすゝみ、所々を放火し、元和元年の役にも、大和田の, の御刀、左文字乃御脇指をたまひ、馬二匹をひかる、十二年六月二日、松平, 元和二年六月十三日, 於ケル利, 利隆鎌倉, 大坂役二, 利隆襲封, 光政生ル, ヲ遊歴ス, 隆, 號ヲ賜フ, 松平ノ稱, 一七七

頭注

  • 於ケル利
  • 利隆鎌倉
  • 大坂役二
  • 利隆襲封
  • 光政生ル
  • ヲ遊歴ス
  • 號ヲ賜フ
  • 松平ノ稱

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  • 一七七

注記 (26)

  • 1591,709,60,2154まひ、また鎌倉を遊歴すへきのむね仰ありて、鵜殿兵庫助長秀を副らる、
  • 1475,709,60,2141夫より駿府に至りて、東照宮にまみゑたてまつり、御鷹、馬等をたまふ、十
  • 308,702,62,2142在家をやきはらひ、五月七日落城のとた、首六百二十一級を得てたてま
  • 1011,706,59,2140り、こふて姫路におもむく、このとき吉岡助光乃御刀をたまはる、六月六
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