『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.209

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松を立よと仰て、やかて御厨より人參りて、門松を立ける、又或時興國公、罪, り、よの常の殉死よりは、殊に珍敷死を遂たりと、其頃評しあへり, 候へは、いつも松かさりもいたさすと答へ奉りしか、興國公、何宗にもあれ, 日ゟ後、四十九日に當る日より食を絶て、同八月廿日に餓死す、三十五歳な, 門松なし、何とて門松をは立さると御尋あり、内記承り、某宗旨一向宗にて, 番、芳賀兩人に對し、一應は留りぬ、もとより思ひ極めし事なれは、六月十三, 存なりけれは、まけて其元こも死を止り候へと、理を盡しとゝめける、内記, 或年十二月晦日、興國公櫓にのほり給ひ、内記か宅を御覽有に, 投すといふ, にて火中に, 興國公煩, 給ふうち、, させ給ひて内記に給ふ、然るに内記も殉死を遂けれは、兄忠左衞門か遺腹, 内記に仰けるは、其方か勤仕のふるまひ、感するに餘りありやまい平らき, なは、番大膳、芳賀内藏允同樣申付へしとて、田中喜入をめして、其事を筆記, 返しあたへられす、甚右衞門も望申心もなく、此一書を子孫に傳へなは、何, 其後虎之介成長し、祖父の名甚右衞門と變名し仕へけるか、終に五百石は, 預り申〓しとて、一書したゝめ、判すへて渡されしかは、其旨にまかせにる, となく上をうらむる心も有なんとて、或時此書を同姓高木左近右衞門宅, の子虎之介に、内記か家督を命せらる、此時土倉市正、日置豐前、番大膳、芳習, 内藏允列座にて、内記か甥の若原監物に申けるは、内記か家督を減し給ふ, あらは、虎之介を高野山に登せ、僧となすへしとそ申候ひき、されはゆめ, へきにはあらす、去なから、主公御幼少、虎之介も幼少なれは、八百石の内三, 々其意を得すとそ申ける、時に四人の者、虎之介成長まて、五百石の祿某共, 白石を、虎之介に賜るへきよしなり、監物承り、是は存もよらぬ御言葉に候, 内記申置にも、主公御幼少なれは、自然家老のかさ〳くより、家督減少の事, 甚右衞門, 内記ノ甥, 利隆内記, 死ス, 絶チテ殉, ノ廉潔, 内記食ヲ, ヲ籠ス, 元和二年六月十三日, 二〇九

割注

  • 投すといふ
  • にて火中に
  • 興國公煩
  • 給ふうち、
  • させ給ひて内記に給ふ、然るに内記も殉死を遂けれは、兄忠左衞門か遺腹
  • 内記に仰けるは、其方か勤仕のふるまひ、感するに餘りありやまい平らき
  • なは、番大膳、芳賀内藏允同樣申付へしとて、田中喜入をめして、其事を筆記
  • 返しあたへられす、甚右衞門も望申心もなく、此一書を子孫に傳へなは、何
  • 其後虎之介成長し、祖父の名甚右衞門と變名し仕へけるか、終に五百石は
  • 預り申〓しとて、一書したゝめ、判すへて渡されしかは、其旨にまかせにる
  • となく上をうらむる心も有なんとて、或時此書を同姓高木左近右衞門宅
  • の子虎之介に、内記か家督を命せらる、此時土倉市正、日置豐前、番大膳、芳習
  • 内藏允列座にて、内記か甥の若原監物に申けるは、内記か家督を減し給ふ
  • あらは、虎之介を高野山に登せ、僧となすへしとそ申候ひき、されはゆめ
  • へきにはあらす、去なから、主公御幼少、虎之介も幼少なれは、八百石の内三
  • 々其意を得すとそ申ける、時に四人の者、虎之介成長まて、五百石の祿某共
  • 白石を、虎之介に賜るへきよしなり、監物承り、是は存もよらぬ御言葉に候
  • 内記申置にも、主公御幼少なれは、自然家老のかさ〳くより、家督減少の事

頭注

  • 甚右衞門
  • 内記ノ甥
  • 利隆内記
  • 死ス
  • 絶チテ殉
  • ノ廉潔
  • 内記食ヲ
  • ヲ籠ス

  • 元和二年六月十三日

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  • 二〇九

注記 (36)

  • 314,620,62,2211松を立よと仰て、やかて御厨より人參りて、門松を立ける、又或時興國公、罪
  • 1607,633,59,1927り、よの常の殉死よりは、殊に珍敷死を遂たりと、其頃評しあへり
  • 433,622,61,2212候へは、いつも松かさりもいたさすと答へ奉りしか、興國公、何宗にもあれ
  • 1723,631,62,2216日ゟ後、四十九日に當る日より食を絶て、同八月廿日に餓死す、三十五歳な
  • 551,620,59,2212門松なし、何とて門松をは立さると御尋あり、内記承り、某宗旨一向宗にて
  • 1841,628,60,2213番、芳賀兩人に對し、一應は留りぬ、もとより思ひ極めし事なれは、六月十三
  • 1955,631,63,2220存なりけれは、まけて其元こも死を止り候へと、理を盡しとゝめける、内記
  • 665,980,62,1851或年十二月晦日、興國公櫓にのほり給ひ、内記か宅を御覽有に
  • 655,622,42,332投すといふ
  • 698,628,42,330にて火中に
  • 1637,2576,44,269興國公煩
  • 1594,2578,40,270給ふうち、
  • 1402,640,45,2189させ給ひて内記に給ふ、然るに内記も殉死を遂けれは、兄忠左衞門か遺腹
  • 1523,631,45,2200内記に仰けるは、其方か勤仕のふるまひ、感するに餘りありやまい平らき
  • 1475,631,47,2205なは、番大膳、芳賀内藏允同樣申付へしとて、田中喜入をめして、其事を筆記
  • 814,615,44,2214返しあたへられす、甚右衞門も望申心もなく、此一書を子孫に傳へなは、何
  • 885,627,45,2207其後虎之介成長し、祖父の名甚右衞門と變名し仕へけるか、終に五百石は
  • 931,630,43,2207預り申〓しとて、一書したゝめ、判すへて渡されしかは、其旨にまかせにる
  • 768,629,45,2201となく上をうらむる心も有なんとて、或時此書を同姓高木左近右衞門宅
  • 1357,634,45,2193の子虎之介に、内記か家督を命せらる、此時土倉市正、日置豐前、番大膳、芳習
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  • 1239,644,45,2182へきにはあらす、去なから、主公御幼少、虎之介も幼少なれは、八百石の内三
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  • 1120,633,44,2191内記申置にも、主公御幼少なれは、自然家老のかさ〳くより、家督減少の事
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  • 671,266,41,117ヲ籠ス
  • 216,703,44,388元和二年六月十三日
  • 213,2432,48,124二〇九

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