『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.354

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等か棟梁共隱れ居なは不殘しれたり、, の僧を供養して、一千餘貫の寺余を寄附して、宗隣父代々乃歸依寺こて、, 燒失す、抑萬壽寺といふは、大友代出羽守貞親、徳治元年建立して、百餘人, 取込、切支丹に歸伏して、時々主君の宗隣へも、彼宗門の尊〓よしを進て、, 申付、府内の住吉の社を打破り、火をかくる也、元龜元年正月、沼忍の沙汰, 千變万化の辯舌を盡し、終には邪宗門に引入れしと也、依之宗隣も、毎月, 切支丹講とて興行し、數代尊敬せし海藏寺といふ禪刹の住持眞叔和尚, 友家臣原田紹忍の一家にして、利根才智の者也、今年始て正法を信し、邪義, 三綱五常を用ひす、誠に邪宗の惡道に陷溺する事悲ふ哉、唯金銀珠玉を, として、橋本五左衞門并清田因幡守に、二百餘乃軍兵を相添て、萬壽寺を, 都を被召、諸國切支丹の目付に被仰付、是ゟ日本國中乃ハテレン、イルマン, 宗を改メ轉ふといふ、當地轉ひの始也、依て奉行權六江戸え言上ある、彼森, をうとみ出し、途中こて〓害せしむ、又永祿十年の夏、山森沼庵と云者に, 評曰、田原紹忍といふは、大友の一族也、然に神道佛法をうやまはすして、, 正法繋昌の禪創也、終に惡宗門の爲に燒亡せらる、又其比吉弘内藏介と, 丹講, 吉利支丹, 大友宗麟, 目明シ, ノ吉利支, 元和二年八月八日, 三五四

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  • 丹講
  • 吉利支丹
  • 大友宗麟
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  • 元和二年八月八日

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  • 三五四

注記 (22)

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