『大日本史料』 12編 2 慶長九年三月~同十年二月 p.637

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す、文祿三年ゟ慶長九年迄、邪宗の爲に辛苦して、潛に正法をすゝむ、顯に經, 爰に道知とて、川口と云所に一人の僧あり、則奉行所に召れ、一寺建立す, 所に宿す、其後、今の出來鍛冶屋町思案橋の邊より、是を川口と云、是有馬修, 理大夫の屋敷也、義純より道知是を得て、此に住し、專ら淨土の法門を勸化, 文も讀誦する事不叶と云り、是未邪正吟味なきを以て也、于茲慶長八癸卯, 慶長九甲辰九月也, 年、家康公任征夷大將軍給ひて、四月、長崎奉行として、小笠原一庵を差下さ, とも、佛場無之によりて、正法眞實の寺を建立すへしとて、其人を汞らる、, に清正に別れをとつて、長崎に來て、今の船津町に、庄林五左衞門と云者の, へしと有て、今の正覺寺を草創し給ふ、是長崎にて佛法再興の始也、于時, 可歸正と也、, る、今年より、吉利支丹を嫌ひ玉ふ事有て、同九年辰九月に、有佛法再興、改邪, 評曰, 道知於于爰、數年辛苦せし本懷を達したり、誠に是、可謂長崎最初の寺、又町, 使と云役人始て、吉利支丹の者共放逸せさる樣に致し給ふ、當地奉行たる, 一庵當地に下て、不殘所々を巡見して、吉利支丹寺は有といへ, ○上, 略, ノ再興, 長崎佛法, ノ寺院, 長崎最初, 慶長九年九月是月, 六三七

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  • ○上

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  • ノ再興
  • 長崎佛法
  • ノ寺院
  • 長崎最初

  • 慶長九年九月是月

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  • 六三七

注記 (24)

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