『大日本史料』 12編 25 元和二年五月~同年是歳 p.355

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

こは非ス、耶蘇宗門を諸人ニ進んか爲に、官勾當となり、京夷中諸國を徘, 徊して、大名高家多くは彼かすゝめにて、邪宗門こ歸伏し、已來慶長十年, 家の種ね也、沼忍も又他人にあらす、時節因縁とはいむなから、九州の探, 社佛閣を沒倒せしに依て、領内の貴賤老若歎きしかは、是宗隣并沼忍を, はる程の者、一々誅罸す〓しと申けな、夫大友は、右大將頼朝公の後胤、源, 三壽庵大主に有し時、道知處に來て、過言を吐て道知に叱られ、逐電して, 調伏すななりとて、以の外立腹して、沼忍にさたして、神道佛道にたつさ, れは、在々所々を走り廻りて、佛神の尊容を、日々に五駄十駄ツヽ取寄、打, こそ悲しけれ、然るに森都といふ座頭は、其沼忍か計策として、實の盲目, 割て是を薪とす、又天正四丙子年四月八日、灌佛日、清田阿波守鎭忠、上野, 題六ケ國の主として、かゝる淺間敷邪宗門となり、其家終に滅亡しける, さかりしか、今元和貳辰年五月五日、夜に入て、正覺寺に來り、道知と對論, 權僧正鎭俊を大將として、其勢四千三百餘騎にて、彦山三千の寺院坊舍, 諸堂迄不殘改破燒崩しける、如此大友家、彼切支丹と成り、佛神を不敬、神, いふ者あり、宗隣是に下知して、豐後の國中の佛像を集メ、薪にせよとあ, 元和二年八月八日, 森都ノ布, 森都道知, ラル, ニ〓破セ, 教, 三五五

頭注

  • 森都ノ布
  • 森都道知
  • ラル
  • ニ〓破セ

ノンブル

  • 三五五

注記 (22)

  • 609,709,78,2138こは非ス、耶蘇宗門を諸人ニ進んか爲に、官勾當となり、京夷中諸國を徘
  • 488,706,82,2150徊して、大名高家多くは彼かすゝめにて、邪宗門こ歸伏し、已來慶長十年
  • 956,699,82,2140家の種ね也、沼忍も又他人にあらす、時節因縁とはいむなから、九州の探
  • 1305,692,81,2142社佛閣を沒倒せしに依て、領内の貴賤老若歎きしかは、是宗隣并沼忍を
  • 1074,708,80,2130はる程の者、一々誅罸す〓しと申けな、夫大友は、右大將頼朝公の後胤、源
  • 371,703,80,2138三壽庵大主に有し時、道知處に來て、過言を吐て道知に叱られ、逐電して
  • 1189,698,80,2139調伏すななりとて、以の外立腹して、沼忍にさたして、神道佛道にたつさ
  • 1777,700,82,2130れは、在々所々を走り廻りて、佛神の尊容を、日々に五駄十駄ツヽ取寄、打
  • 724,708,77,2132こそ悲しけれ、然るに森都といふ座頭は、其沼忍か計策として、實の盲目
  • 1657,688,83,2143割て是を薪とす、又天正四丙子年四月八日、灌佛日、清田阿波守鎭忠、上野
  • 838,703,81,2130題六ケ國の主として、かゝる淺間敷邪宗門となり、其家終に滅亡しける
  • 258,708,78,2137さかりしか、今元和貳辰年五月五日、夜に入て、正覺寺に來り、道知と對論
  • 1539,692,82,2141權僧正鎭俊を大將として、其勢四千三百餘騎にて、彦山三千の寺院坊舍
  • 1423,690,81,2144諸堂迄不殘改破燒崩しける、如此大友家、彼切支丹と成り、佛神を不敬、神
  • 1894,699,83,2129いふ者あり、宗隣是に下知して、豐後の國中の佛像を集メ、薪にせよとあ
  • 148,721,47,346元和二年八月八日
  • 626,274,42,171森都ノ布
  • 292,278,42,172森都道知
  • 208,286,32,74ラル
  • 246,286,43,159ニ〓破セ
  • 583,274,40,42
  • 173,2442,47,124三五五

類似アイテム