『大日本史料』 4編 12 建暦2年12月~建保元年12月 p.399

Loading…

要素

割注ノンブル

OCR テキスト

兩社行幸云々、, 胤長か墓のしるしの石、猶今に在て平太佛といひ、其妻のよそひしける原, 同九日胤長をも殺しけり、胤長の妻夫の殺されける事を知す、跡を慕ひて, して義時を討けるに、勝得すして戰死す、こゝをもて鎌倉より人を遣して、, なる常松某碑を其沼邊に立て、其亡靈を祭り、此夫婦をとふらふ詩歌を人, をけさうか原といひ、其死にける沼を鏡か沼といふとそ、近き年鏡か沼村, けりときゝ、おとろき悲しみ、其ほとりなる沼に、鏡を抱き身をなけて失ぬ, ゝ、悦ひて道なる野邊にて、鏡をとり出して裝し、其家に至れは、既に殺され, 鎌倉よりはる〳〵尋ね來けるか、夫の居所稻村といふ村にて、程近しとき, 々に乞集めて、磨光編と名付、板にしらせたる一とち有り、, 〔明月記〕四十三年正月廿日、天晴、三月十日八幡行幸、翌日朝覲、, 石清水ニ行幸アラセラレ、翌日、鳥羽殿ニ行幸シテ、後鳥羽上皇ニ, 建暦二年十一月廿二日、夜風吹雪、沙庭僅白、明年, 十日, 〔仁和寺日次記〕三月十日辛亥、行幸石清水, 朝覲シ給フ、, 三月, 〔明月記〕, 鳥羽殿、, ○下略、, ○中, 亥と、, 略、, 辛, 三十, 九, 建保元年三月十日, 三九九

割注

  • 鳥羽殿、
  • ○下略、
  • ○中
  • 亥と、
  • 略、
  • 三十

  • 建保元年三月十日

ノンブル

  • 三九九

注記 (28)

  • 497,622,57,434兩社行幸云々、
  • 1318,622,60,2225胤長か墓のしるしの石、猶今に在て平太佛といひ、其妻のよそひしける原
  • 1787,625,60,2219同九日胤長をも殺しけり、胤長の妻夫の殺されける事を知す、跡を慕ひて
  • 1906,627,59,2231して義時を討けるに、勝得すして戰死す、こゝをもて鎌倉より人を遣して、
  • 1084,631,60,2209なる常松某碑を其沼邊に立て、其亡靈を祭り、此夫婦をとふらふ詩歌を人
  • 1199,627,61,2217をけさうか原といひ、其死にける沼を鏡か沼といふとそ、近き年鏡か沼村
  • 1436,626,59,2224けりときゝ、おとろき悲しみ、其ほとりなる沼に、鏡を抱き身をなけて失ぬ
  • 1553,641,58,2198ゝ、悦ひて道なる野邊にて、鏡をとり出して裝し、其家に至れは、既に殺され
  • 1670,625,61,2220鎌倉よりはる〳〵尋ね來けるか、夫の居所稻村といふ村にて、程近しとき
  • 969,634,59,1716々に乞集めて、磨光編と名付、板にしらせたる一とち有り、
  • 357,581,103,1991〔明月記〕四十三年正月廿日、天晴、三月十日八幡行幸、翌日朝覲、
  • 840,757,78,2063石清水ニ行幸アラセラレ、翌日、鳥羽殿ニ行幸シテ、後鳥羽上皇ニ
  • 612,1130,59,1425建暦二年十一月廿二日、夜風吹雪、沙庭僅白、明年
  • 847,536,69,153十日
  • 242,584,102,1327〔仁和寺日次記〕三月十日辛亥、行幸石清水
  • 725,533,72,387朝覲シ給フ、
  • 614,2717,50,125三月
  • 589,586,104,258〔明月記〕
  • 406,2578,43,197鳥羽殿、
  • 363,2580,40,193○下略、
  • 639,2581,41,111○中
  • 837,710,45,52亥と、
  • 597,2580,40,53略、
  • 884,705,41,50
  • 640,923,42,106三十
  • 599,922,38,40
  • 158,693,45,342建保元年三月十日
  • 157,2429,41,122三九九

類似アイテム