『大日本史料』 12編 19 元和元年五月 p.775

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

や、味方六日七日の討死人別兩日首帳の奧に委鋪見へたり、, 込られ、鑓玉に上りしと云傳ふ、後に諸手御吟味の節、當手の働き鈍かりし, 樣に被聞召しか共、家老乃討死したる程の事なれは、申披の第一也しとか, へ形見に牽行と御申付被成候、御返し被下候へと歎けれは、下りて返しけ, 越て見屆參れと御意ニ付、則乘付候、其間に蘆毛の馬に六文錢金具にて摺, る、壹丁計行けるに、口取を切殺して首を取たる者有、是則御當家の侍也し、, たる黒鞍居、口取只壹人牽て行けるを呼掛、其馬は誰の馬何方え牽行〓と, 此首も數の内え入て五十石加増取候、其名は誰といはさりたれとも、後に, 問たれは、是は城中眞田左衞門殿馬ニ候か、只今討死被致、城内え牽歸り候, と申たれは、能馬也、乘く見はやと、則牽寄乘たるに、かんよき馬にて乘合靜, なる大將馬と譽たりたれは、口取申々るは、左衞門殿此馬は何卒して、信濃, 衞門幸村と戰ひ給ひし、越前の手討勝にる、康勝公、八兵衞に越前の手え罷, 沼上八兵衞大坂の御陣の節、御使番勤ける、五月七日越前の手にて、眞田左, 衞は討死と覺悟して懸りしまゝ、敵の多少にも不搆突廻りしか、大勢に取, 沼上八兵衞大坂御陣御使番之事, 兵衞, 臣沼上八, 康勝ノ家, 幸村ノ乘, 馬, 元和元年五月七日, 七七五

頭注

  • 兵衞
  • 臣沼上八
  • 康勝ノ家
  • 幸村ノ乘

  • 元和元年五月七日

ノンブル

  • 七七五

注記 (22)

  • 1598,658,64,1785や、味方六日七日の討死人別兩日首帳の奧に委鋪見へたり、
  • 1825,656,70,2210込られ、鑓玉に上りしと云傳ふ、後に諸手御吟味の節、當手の働き鈍かりし
  • 1710,654,71,2207樣に被聞召しか共、家老乃討死したる程の事なれは、申披の第一也しとか
  • 546,660,64,2192へ形見に牽行と御申付被成候、御返し被下候へと歎けれは、下りて返しけ
  • 1123,646,63,2216越て見屆參れと御意ニ付、則乘付候、其間に蘆毛の馬に六文錢金具にて摺
  • 430,645,63,2229る、壹丁計行けるに、口取を切殺して首を取たる者有、是則御當家の侍也し、
  • 1007,650,65,2208たる黒鞍居、口取只壹人牽て行けるを呼掛、其馬は誰の馬何方え牽行〓と
  • 313,638,65,2217此首も數の内え入て五十石加増取候、其名は誰といはさりたれとも、後に
  • 893,644,62,2218問たれは、是は城中眞田左衞門殿馬ニ候か、只今討死被致、城内え牽歸り候
  • 777,650,63,2214と申たれは、能馬也、乘く見はやと、則牽寄乘たるに、かんよき馬にて乘合靜
  • 659,647,65,2216なる大將馬と譽たりたれは、口取申々るは、左衞門殿此馬は何卒して、信濃
  • 1239,648,65,2215衞門幸村と戰ひ給ひし、越前の手討勝にる、康勝公、八兵衞に越前の手え罷
  • 1354,649,66,2213沼上八兵衞大坂の御陣の節、御使番勤ける、五月七日越前の手にて、眞田左
  • 1940,661,73,2204衞は討死と覺悟して懸りしまゝ、敵の多少にも不搆突廻りしか、大勢に取
  • 1479,795,58,985沼上八兵衞大坂御陣御使番之事
  • 1330,281,40,85兵衞
  • 1374,283,39,167臣沼上八
  • 1416,282,43,173康勝ノ家
  • 935,278,43,174幸村ノ乘
  • 896,279,35,40
  • 217,719,46,339元和元年五月七日
  • 211,2448,43,121七七五

類似アイテム