『大日本史料』 12編 26 元和二年雑載~元和三年三月 p.771

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なり、今の古名となれり、右五町に取立し吉原町に至て、公儀より嚴重に被, 父がせわをやき懸たる橋故、その名をおやじはしとよび、終にはしの名と, 町は京町、角町、江戸町、同二丁目、揚屋町、都合五町、一方口の門を大きく作り、, の東に於て、葦沼谷地拜領し、江戸中に散在したる遊女宿一所にありたき, まづ揚屋町橘屋がかたより舞始る也、然るに日を追ひ年を重て、遊女宿こ, ゝかしこに出來、糀町などにもあり、かの庄司甚右衞門分別の上、今の堺町, を過ぬものども也、その内庄司甚右衞門四十五六歳ばかりにて下りける, 名のこれり、その始駿河國より下れる二十五人のもの、各廿四五歳三十歳, に作りし町の一二丁西の方、殊の外葭沼の汐入にて、路次あしく、客人通ひ, 故、一列の中にて、彼甚右衞門を、つね〴〵おやじとよびける、然るに此五町, かねけるゆへ、甚右衞門世話をやきて、水をはき橋をかけて徃來せしむ、親, 由願處、凡之通谷地被下置、かの京橋柳町角町の本店をはじめ、所々より集, これを大門口といふ、その中通を中の町といふ、されば今に大門通りの古, りけるものどもをよせて、其町五町にとり立、その名を吉原町といふ、其五, 屋に馬は飼ざれども、今にいたる迄、毎年正月始て猿引吉原町に至る時は、, 吉原ノ開, 基, 中の町, 大門通り, 大門口, おやぢ, おやぢ橋, 元和三年三月是月, 七七一

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  • 吉原ノ開
  • 中の町
  • 大門通り
  • 大門口
  • おやぢ
  • おやぢ橋

  • 元和三年三月是月

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  • 七七一

注記 (24)

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