『大日本史料』 12編 26 元和二年雑載~元和三年三月 p.795

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藤太秀郷、相馬の將門の首を取持せ、都へ上らるゝ時、將門の著せし甲をも、, 邊に町家多く、神社佛閣も所〳〵に有りしとなり、増上寺は辰の口にあり, の昔、大橋の内にありしとき、柳町とて、天正より慶長年中迄殊に賑ひし町, の邊迄、屋形町つゞきて、是を松原小路と云、四谷筋より神田へ通る徃還の, 風俗あしく成りしとて、或は泪ぐみ、或は憤り候を、老のくせとて、同じ咄し, を度々にして、終には獨腹を立と存じ候ひしり、今〳〵思へば道理過て覺, よし、四日市茅場町より南は入江の茅沼にてありし、むかし天慶年中に、俵, しが、芝濱表へ移さる、神田明神は神田橋御門の内にありしを、御普請の砌、, かけ初めし橋なるゆへ、オヤヂ橋といふ、前段にもいひし如く、江戸町はそ, より京橋邊の町家の者は西寺と申けると也、竹橋御門の邊より、半藏御門, 也、夫に付老たる者の語り傳へしは、慶長十年より以前は、今の御外曲輪近, 今の社地へ遷宮あり、本所法恩寺は鍋島御門の所にありて、此寺を日本橋, へ候、寛永五年十一月、今のよし町と堀江町の間に橋を懸たり、甚右衞門が, 々咄しぬれど、爰には筆を略し候、其外元の吉原の事を噺し候度毎に、今は, 増上寺, 四日市茅, 神田明神, 親父橋, 法恩寺, 場町ヨリ, 南ハ入江, 元和三年三月是月, 七九五

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  • 増上寺
  • 四日市茅
  • 神田明神
  • 親父橋
  • 法恩寺
  • 場町ヨリ
  • 南ハ入江

  • 元和三年三月是月

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  • 七九五

注記 (23)

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