『大日本史料』 12編 32 元和五年十一月~同年十二月 p.455

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此處然るへしとあり、されとも此所は久廢乃地にて、中〳〵急に全備すへ, 此そとは皆田野なり、橋より城の堀際まて三街市あり、東を鰻町と云、中を, 乃出合橋乃本こて、十四五町り間、幅七間、深, を用られんとて、すてに廣狹を積り、引繩ありしに、新地なれは俄に取立か, サ三間半乃河をほる、三月以後は農に妨ありとて、正月二月兩月をかきり、, より、下は平田あたり、今, かたし、倉吉は山奧とて然るへからす、久米郡茶臼山地形尤宜けれは、此所, り内に町屋を立つ、今の柳倉の前に橋を架し、大橋と號し、當城の大手とす、, たしとて、終に鳥取を廣め用ひらるゝにそ極りぬ、然れは今年正月ゟ普請, 中を通ける故、新川を堀、河水を通し、鳥取の惣郭をめくらし、元の川を塞き、, からすとて止ぬ、伯州米子は、尤地利よけれは、兩國の邊端なれは、此處も成, 兩國の民夫に課して作らる、遠近の村里一軒う此役にもるゝ者なし、扨川, 此處より四町計西南、田野の中へ出し、吉方、稻平乃兩村の下、松り崎と云邊, 内湯所口ありて、商家と交れり、されは今町小路を廣めんとするに、川筋街, を起しける、備中守殿在城の時は、柳〓手を以て鳥取の惣構へとし、袋河よ, 中町と云、西を與次右衞門町と云、侍屋敷は山下の堀より内にあり、或は宮, ○寛政, 年間, 課役, 百姓ヘノ, 大手ノ變, 更, 元和五年是歳, 四五五

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  • ○寛政
  • 年間

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  • 課役
  • 百姓ヘノ
  • 大手ノ變

  • 元和五年是歳

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  • 四五五

注記 (24)

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