Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
集りて往來なせり、, 見しは今、江戸町東西南北に堀川ありて、橋も多し、其數をしらす、扨又、御城, 川に日本橋只一筋かゝる、是は往復の橋なり、町中行かひの人、此橋一ツに, 規に出來たり、その後、此橋御再興は、元和四戊午の年なり、大川なればとて, 件の日本橋は、慶長八癸卯の年、江戸町割の時分、新, ついて、往還たゆる事なし、, 大手の堀を流れて落る大河一筋あり、此川町中を流れて、南の海へ落る、此, 四間貳尺五寸なり、此橋にをゐては、晝夜二六時中、諸人群をなし、くひすを, 一同に、日本橋とよひぬる事、きたひの不思と沙汰せり、然るに、武州は、凡, 川中へ、兩方ゟ石垣をつき出しかけ給ふ、敷板のうへ、三十七間四尺五寸、廣, 東は淺草迄町つゝきたり, の名を、人間はかつて以て名付す天よりやふりけん、地よりや出けん、諸人, 一日本橋は、慶長八癸卯の年、江戸町わりの時節、新敷出來たる橋也、此橋, 此町の外、家居つゝき、廣大なること、南は品川、西はたやすの原、北は神田原, 〔慶長見聞集〕ニ一里塚つき給ふ事, 〔慶長見聞集〕五日本橋市をなず事, ○下, ○上, ○中, ○下, 略, 略, 略, 略, 〇, 本橋ヲ架, 始メテ日, 慶長八年三月三日, 一〇五
割注
- ○下
- ○上
- ○中
- 略
- 〇
頭注
- 本橋ヲ架
- 始メテ日
柱
- 慶長八年三月三日
ノンブル
- 一〇五
注記 (29)
- 1215,649,56,571集りて往來なせり、
- 1552,653,69,2211見しは今、江戸町東西南北に堀川ありて、橋も多し、其數をしらす、扨又、御城
- 1319,654,69,2206川に日本橋只一筋かゝる、是は往復の橋なり、町中行かひの人、此橋一ツに
- 1089,649,65,2220規に出來たり、その後、此橋御再興は、元和四戊午の年なり、大川なればとて
- 1203,1365,64,1504件の日本橋は、慶長八癸卯の年、江戸町割の時分、新
- 750,663,57,777ついて、往還たゆる事なし、
- 1436,653,69,2211大手の堀を流れて落る大河一筋あり、此川町中を流れて、南の海へ落る、此
- 857,655,65,2202四間貳尺五寸なり、此橋にをゐては、晝夜二六時中、諸人群をなし、くひすを
- 273,672,67,2178一同に、日本橋とよひぬる事、きたひの不思と沙汰せり、然るに、武州は、凡
- 970,652,70,2209川中へ、兩方ゟ石垣をつき出しかけ給ふ、敷板のうへ、三十七間四尺五寸、廣
- 1799,658,58,776東は淺草迄町つゝきたり
- 390,655,65,2198の名を、人間はかつて以て名付す天よりやふりけん、地よりや出けん、諸人
- 504,764,70,2091一日本橋は、慶長八癸卯の年、江戸町わりの時節、新敷出來たる橋也、此橋
- 1903,656,70,2220此町の外、家居つゝき、廣大なること、南は品川、西はたやすの原、北は神田原
- 609,611,102,1172〔慶長見聞集〕ニ一里塚つき給ふ事
- 1663,619,100,1175〔慶長見聞集〕五日本橋市をなず事
- 1825,1455,41,109○下
- 545,656,40,111○上
- 1242,1233,40,115○中
- 779,1453,39,104○下
- 734,1448,38,40略
- 1198,1233,39,39略
- 1781,1453,41,42略
- 505,654,43,39略
- 775,1451,42,36〇
- 1333,291,44,171本橋ヲ架
- 1380,290,39,166始メテ日
- 181,719,44,342慶長八年三月三日
- 169,2456,45,110一〇五







