『大日本史料』 12編 1 慶長八年二月~同九年二月 p.105

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集りて往來なせり、, 見しは今、江戸町東西南北に堀川ありて、橋も多し、其數をしらす、扨又、御城, 川に日本橋只一筋かゝる、是は往復の橋なり、町中行かひの人、此橋一ツに, 規に出來たり、その後、此橋御再興は、元和四戊午の年なり、大川なればとて, 件の日本橋は、慶長八癸卯の年、江戸町割の時分、新, ついて、往還たゆる事なし、, 大手の堀を流れて落る大河一筋あり、此川町中を流れて、南の海へ落る、此, 四間貳尺五寸なり、此橋にをゐては、晝夜二六時中、諸人群をなし、くひすを, 一同に、日本橋とよひぬる事、きたひの不思と沙汰せり、然るに、武州は、凡, 川中へ、兩方ゟ石垣をつき出しかけ給ふ、敷板のうへ、三十七間四尺五寸、廣, 東は淺草迄町つゝきたり, の名を、人間はかつて以て名付す天よりやふりけん、地よりや出けん、諸人, 一日本橋は、慶長八癸卯の年、江戸町わりの時節、新敷出來たる橋也、此橋, 此町の外、家居つゝき、廣大なること、南は品川、西はたやすの原、北は神田原, 〔慶長見聞集〕ニ一里塚つき給ふ事, 〔慶長見聞集〕五日本橋市をなず事, ○下, ○上, ○中, ○下, 略, 略, 略, 略, 〇, 本橋ヲ架, 始メテ日, 慶長八年三月三日, 一〇五

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  • ○下
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  • ○中

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  • 本橋ヲ架
  • 始メテ日

  • 慶長八年三月三日

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  • 一〇五

注記 (29)

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