Loading…
要素
割注頭注ノンブル
OCR テキスト
りには、松島町といへるあり、思ふにかの松のなごりにて、さる名を負した, 猶三四寸の上を出づべからず、この屏風に圖したる遊女も、其全體にくら, ありけり、かくてその松は、明暦の火に皆燒けしを、新吉原へ移されては、さ, ぶれば、その帶の幅稍三四寸なるべく見ゆ、しかれどもこれらは未だ元吉, るものをも栽ずなりしよし、故老のいわれしこともぞある、彼舊地のほと, 春臺物語にもいへり、この時も遊女の帶は、その幅ひろかりしよしなれど、, この圖中なる大門口には、外の方に松を畫きたり、予が總角なりし比、一老, かざりしは、明暦以前の風俗にて、元吉原の圖にやあらん、只是のみならず、, 人の言を聞しに、元吉原の大門口と、南の方なる塹際に、大きなる松兩三株, 畫は、いとふるき圖に見へながら、大門口とおぼしき處に、かの土手馬を畫, 原の考證とするに足らず、大約萬治寛文以來、元祿に至るまで、かの日本堤, の體たらく及大門口の光景をゑがきたるには、〓客必馬に乘て行かへり, 寛永中のこと也、寛永中は、女の帶の幅、凡一寸五分より二寸までなりし由, する處なきはなし、當時土手馬といふものゝ流行せしによりてなり、か, しかるにこの屏風の, を、享保の末に至りて、又これをも禁止せられたり、, 土手馬を禁止せられし後は、二挺立の小船はやりし), 大門口ノ, 松, 女ノ帶, 土手馬, 元和三年三月是月, 八六七
割注
- を、享保の末に至りて、又これをも禁止せられたり、
- 土手馬を禁止せられし後は、二挺立の小船はやりし)
頭注
- 大門口ノ
- 松
- 女ノ帶
- 土手馬
柱
- 元和三年三月是月
ノンブル
- 八六七
注記 (23)
- 297,637,63,2216りには、松島町といへるあり、思ふにかの松のなごりにて、さる名を負した
- 1694,633,63,2218猶三四寸の上を出づべからず、この屏風に圖したる遊女も、其全體にくら
- 534,640,62,2213ありけり、かくてその松は、明暦の火に皆燒けしを、新吉原へ移されては、さ
- 1584,642,59,2214ぶれば、その帶の幅稍三四寸なるべく見ゆ、しかれどもこれらは未だ元吉
- 415,642,65,2214るものをも栽ずなりしよし、故老のいわれしこともぞある、彼舊地のほと
- 1812,635,62,2229春臺物語にもいへり、この時も遊女の帶は、その幅ひろかりしよしなれど、
- 764,641,61,2214この圖中なる大門口には、外の方に松を畫きたり、予が總角なりし比、一老
- 883,641,62,2226かざりしは、明暦以前の風俗にて、元吉原の圖にやあらん、只是のみならず、
- 648,636,62,2221人の言を聞しに、元吉原の大門口と、南の方なる塹際に、大きなる松兩三株
- 1000,630,61,2229畫は、いとふるき圖に見へながら、大門口とおぼしき處に、かの土手馬を畫
- 1464,633,62,2219原の考證とするに足らず、大約萬治寛文以來、元祿に至るまで、かの日本堤
- 1348,643,63,2213の體たらく及大門口の光景をゑがきたるには、〓客必馬に乘て行かへり
- 1930,635,61,2226寛永中のこと也、寛永中は、女の帶の幅、凡一寸五分より二寸までなりし由
- 1232,641,71,2195する處なきはなし、當時土手馬といふものゝ流行せしによりてなり、か
- 1118,2245,59,605しかるにこの屏風の
- 1099,629,46,1515を、享保の末に至りて、又これをも禁止せられたり、
- 1144,642,46,1633土手馬を禁止せられし後は、二挺立の小船はやりし)
- 678,277,39,166大門口ノ
- 631,276,41,37松
- 1941,274,43,128女ノ帶
- 1243,270,41,130土手馬
- 191,723,45,345元和三年三月是月
- 198,2394,47,129八六七







