『大日本史料』 12編 27 元和三年四月~同年八月 p.58

Loading…

要素

ノンブル

OCR テキスト

橋を渡し、又日光山に至ては、數千人の人夫を以て引上させ、笠石を上るに, 送らば、幾本送る共難き事有らんや、又陸地は修羅を以て牛數匹に曳せべ, し、日光路は黒土にて、修羅曳難からん間、厚板を二町計も鋪せ、順々送りに, 上るには、近邊の郷里より、米或は雜穀を數百俵買寄せ、夫を積で轆轤を以, て引上れば、人夫の力を勞さずして事成るべし、是等の事、我兼て思量〓置, 及では、買寄たる所の穀物俵を數百俵積上て、足代の臺とし、〓りを以て材, 君の恩賜に依て、五十萬石を領す、されば其五十萬石を以て建立せん事吾, 莫大の恩賜に因て、大家と成たるに付、此度華表に心を盡し、領國筑前志摩, し所也と云、家士等、此指揮に隨ひて、始終を計り運送し、橋有所にては、別に, 内無雙の大鳥居也、參詣の諸人目を驚かさずと云者なし、長政關ケ原以來, 本望也、海上運送の事は、先其大石を大船に載せ、左右に空船を絆ぎて漕せ, 山迄の陸地を送らん事容易ならず、如何せんと評議一決せず、長政曰、我神, 郡小金村の南山に大石有ば、夫を切出し、海上運送の事を議しけるに、日光, なさば、是亦易く行べし、其厚板は鳥居を建る時の足代に用ふべし、笠石を, 木に架し、兩柱より高く卷上げて下し、はめて終に大華表成就せしと也, 元和三年四月十七日, 五八

  • 元和三年四月十七日

ノンブル

  • 五八

注記 (17)

  • 377,677,92,2195橋を渡し、又日光山に至ては、數千人の人夫を以て引上させ、笠石を上るに
  • 1076,666,87,2187送らば、幾本送る共難き事有らんや、又陸地は修羅を以て牛數匹に曳せべ
  • 961,677,86,2186し、日光路は黒土にて、修羅曳難からん間、厚板を二町計も鋪せ、順々送りに
  • 729,672,88,2197上るには、近邊の郷里より、米或は雜穀を數百俵買寄せ、夫を積で轆轤を以
  • 614,670,89,2203て引上れば、人夫の力を勞さずして事成るべし、是等の事、我兼て思量〓置
  • 263,674,93,2200及では、買寄たる所の穀物俵を數百俵積上て、足代の臺とし、〓りを以て材
  • 1308,662,90,2203君の恩賜に依て、五十萬石を領す、されば其五十萬石を以て建立せん事吾
  • 1651,653,86,2202莫大の恩賜に因て、大家と成たるに付、此度華表に心を盡し、領國筑前志摩
  • 496,677,88,2195し所也と云、家士等、此指揮に隨ひて、始終を計り運送し、橋有所にては、別に
  • 1769,651,83,2211内無雙の大鳥居也、參詣の諸人目を驚かさずと云者なし、長政關ケ原以來
  • 1191,662,86,2194本望也、海上運送の事は、先其大石を大船に載せ、左右に空船を絆ぎて漕せ
  • 1424,660,86,2203山迄の陸地を送らん事容易ならず、如何せんと評議一決せず、長政曰、我神
  • 1536,660,85,2198郡小金村の南山に大石有ば、夫を切出し、海上運送の事を議しけるに、日光
  • 847,676,86,2189なさば、是亦易く行べし、其厚板は鳥居を建る時の足代に用ふべし、笠石を
  • 142,681,94,2126木に架し、兩柱より高く卷上げて下し、はめて終に大華表成就せしと也
  • 1885,731,46,381元和三年四月十七日
  • 1909,2440,44,81五八

類似アイテム