『大日本史料』 12編 30 元和四年是歳~元和五年六月 p.249

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尚々、み〓通ことめ塚ヲすろれ可然そんし候、ろしく、, 小源右衞門尉, 内々承候へは、八ものの下澤ニ塚ヲつろるべき面うこ承候、内々申候は、, にさろへ目たてられ可然候、爲其申入事候、以上、, 數馬殿へ上被申候、其分よく〳〵せんさく候て、いそき御すたし可然候、, み〓とおりとの事こフけノ上ふみそへ分半分との書もの、御奉行衆, 六月十八日, 一書申越候、仍彼熊倉村、高柳村山之さろへ塚ヲいそきたてらも可然候、, 此事屋ぶれ、上へあがり候はゝ、御奉行衆は村之肝煎衆とゝろさるよし, 可被仰付候、其御心得候へく候、使申三人もいらい之儀不存申候間、すく, 肝煎百姓中, 〔佐竹家臣梅津政景日記〕七四月三日、横手之内三枚橋村、宇橋村之百姓, 山郡高柳村, 六月十八日□(花押), 肝煎衆, □(花押), 出羽久保, 田領内ノ, とめ塚, 境塚, 百姓租税, 元和四年雜載, 二四九

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  • 出羽久保
  • 田領内ノ
  • とめ塚
  • 境塚
  • 百姓租税

  • 元和四年雜載

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  • 二四九

注記 (23)

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