『大日本史料』 12編 30 元和四年是歳~元和五年六月 p.791

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思ひ給へ共、其國の土民等ろ歎きをあはきたせ給ひしゆへに、かく罪をら, さよ、かくしきりに罪をゆるされし事、正則一人の舊功を思しめされての, れん事、くひすをめくらさしと思ひしかゆへなり、されは關ケ原の軍に功, してみつろら御供して馳のすり、大坂の方人して、いろなる謀をもめくら, の人を大忠の人とはいかておほし召るへき、然るに兩御所、かれが大忠を, 多しとは言へし、何故に當家に忠盡さんとは思ふへき、又大坂の軍起りし, 〓にはあらし、天下草創の初なれは、反側の人々の心を安んし給はん爲に, こそあらめ、さらは正則か關ろ原の戰の時、はしめに御方申さし事はいか, に從はん事をも恥いきとふり、又三成か謀ならんには、此後は我身も滅さ, きまへす、りつかの城一つを堅くして、天下に敵せんと思ひし事のうたて, にそや、それも黒田甲斐守長政のすゝめしによると云事をしるをる記あ, れ共、疑しはれは、長政の傳の下に委敷〓んしぬ、是は、當時正則か心に、石田, 三成ろはろらひとしりてられは、例のはらあしさに、日ころ恨をつみし人, さんと思ひしとこそ覺ゆれ、愚なる身にたにかく思ふに、まして兩御所、か, 時諫言進らをし事も、兩御所の御疑なろらんやうにこしらへて、いろにも, レドモ徳, 川氏ニ忠, 戰ニ功ア, ヲ盡サン, 正則關原, ト思ヘル, ニハアラ, 元和五年六月二日, 七九一

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  • レドモ徳
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  • 正則關原
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  • 元和五年六月二日

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  • 七九一

注記 (24)

  • 292,645,68,2190思ひ給へ共、其國の土民等ろ歎きをあはきたせ給ひしゆへに、かく罪をら
  • 1794,636,65,2183さよ、かくしきりに罪をゆるされし事、正則一人の舊功を思しめされての
  • 981,645,68,2186れん事、くひすをめくらさしと思ひしかゆへなり、されは關ケ原の軍に功
  • 641,646,68,2184してみつろら御供して馳のすり、大坂の方人して、いろなる謀をもめくら
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