『大日本史料』 12編 31 元和五年七月~同年十月 p.342

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口實の下に、妻女と一家諸共獄に投ぜられたり、此やくざ者なる下男は、自, なりと正直に白状したれば、直ちに手錠をかけられたり、妻はかのフェリ, 己の曲事を曲庇するに他に道なきを以て、主人をキリシタンなりと訴人, 在らざりしを以て、家族と共に捕へられざりしが、其後捕吏の手に落ちた, すべて反對の結果を見る事となれり、其後三日を經ずして、ヂョヴァンニ・, チータを今の世に見るが如く、六人の子供を引連れて、夫の後に隨ひたり、, タヒョーエなる人、異教人なる不忠義者の下男の一人を虐待したりとの, やがて役人の前に引出され、次で牢屋に入れられたり、是に於て、牢屋の囚, したるなりき、〓如捕吏出張したり、かのヂョヴァンニは、自らキリシタン, るものは僅に三名なりき、上記ヂョヴァンニの長子ミケーレは、此時家に, 其頃、即ち七月八日, ざる羽目に陷り居たればなり、, 人の數は六十三人に達したり、此中にて、既に選ばれて殉教の勝利を得た, の上洛によりて、多少の安息を得て、一息つかんものと待望しゐたりしに、, キリシタンは、かくも甚しき苦患に遭ひたることなれば、公方, 公方自ら都に到著せり, ノ條ニ見ユ, 月二十七日, ○元和五年五月, 二十七日ニ當ル, ○秀忠、伏見城, ニ入ルコト、五, 衞ノ捕縛, 秀忠ノ上, んに太兵, 十三人, ぢがあ, 入獄者六, 洛, 元和五年八月二十九日, 三四二

割注

  • ノ條ニ見ユ
  • 月二十七日
  • ○元和五年五月
  • 二十七日ニ當ル
  • ○秀忠、伏見城
  • ニ入ルコト、五

頭注

  • 衞ノ捕縛
  • 秀忠ノ上
  • んに太兵
  • 十三人
  • ぢがあ
  • 入獄者六

  • 元和五年八月二十九日

ノンブル

  • 三四二

注記 (31)

  • 1116,648,66,2195口實の下に、妻女と一家諸共獄に投ぜられたり、此やくざ者なる下男は、自
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