『大日本史料』 12編 34 元和六年七月~同年閏十二月 p.750

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諸木枝葉は被下、猶給米等ありけるよし、, 但繩張不相知、, 號せらる、同七辛未年二月、爲恐悦罷出候、, 説あれとも、分明ならす、右八右衞門は、山の持主なれはとて、於御城山こ、, 藝州長州より工匠を招き、穴夫を集め、石垣高く築上させられ、石は城山の, ける、麓に間嶋八右衞門と云百姓住居しける、五万堂といふ所へ替地被, 護摩堂の跡を世俗にごまん堂といひけるよし、天台宗は亀井寺といふ, 一揆之節燒失さし跡に護摩堂のみ殘り、其後建立もなく、斷絶に及ひ候、, 此御山に、嚴嶋大明神御鎭座ありけり、今は松原湊の由、岩崎ニ替地被下, 麓より取出し、數人の人夫にて、是を引上、其外石工等隣國ゟ招き、築かれ, 下ける、この五万堂といふし、往古天台宗の寺院有ける由、天正頃、安國寺, けるよし、同十一月成就す、龜は万代不易の壽といふ祝語あれは、龜山城と, 一濱田城築古田大膳太夫重治, 〔濱田御城地目録〕城地目録, 古田大膳太夫重治, 元和六年十一月是月, 一濱田城築, 稱ス, 龜山城ト, ヲ招ク, 濱田城, ヨリ工匠, 安藝長門, 天保頃ノ, 元和六年十一月是月, 七五〇

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  • 稱ス
  • 龜山城ト
  • ヲ招ク
  • 濱田城
  • ヨリ工匠
  • 安藝長門
  • 天保頃ノ

  • 元和六年十一月是月

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  • 七五〇

注記 (26)

  • 1095,724,62,1208諸木枝葉は被下、猶給米等ありけるよし、
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