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へ遷され, 神を星野山より江戸に遷し奉る, おいて、新に社を御造營ありて、御産神にあかめ給ふ、其後御城西貝塚の地, 州入間郡川越の城の乾に氷川明神の社あるに准へ、文明十年戊戌六月五, を當國江戸平川の觀音堂へ移し、是を齋く津久戸明神と稱す、文明十年戊, 戌、太田道灌、江戸城の鎭守として、宮社を造立ありしといへり、永亨記に、武, このかた、江戸を以て、永く御當家御居城の地に定させられし頃、紅葉山に, 音、傳教大師の作なり、相傳ふ、天慶三年庚子、相馬將門誅せられし後、其首級, 台命ありて、今の地へ遷座なし奉り、宮社御造營ありしより、江府第一の宮, 又承應三年甲午、囘祿の後、溜池の築山勝地たるにより、竟に, 天正より, 居となまり、, 日吉山王神社永田馬場にあり、, 別當は天台宗にして、善龍山成就院と號す、本地佛は聖觀, 〔江戸名所圖會〕, 文明年中、太田道灌、此山王三所の御, 津久戸明神社築土銀町にあり, 〔江戸名所圖會〕型權之部津久戸明神社築土銀町にあり、, 日吉山王神社永田馬場にあり、〓中文明年中、太田道灌、此山王三所の御, 此地ハ牛込, て、菅祠とならひてありしよし、大道寺友, 其頃の社地ハ今の梅林坂のあたりにし, 方ハ牛込に屬す, と小日向の, 仙翁の説なリ、或人云、太田家譜に、文明十年六月十五日、於江戸城内、建山王, い、兩社ともに御城内にありしを、菅祠は平川口御門の外へ遷さ, 權現堂、荒神祠、菅丞相祠云々、菅祠〓今の平川天神の事なり、御國初の頃迄, れ、山王ハ御城の鎭守として、紅葉山に遷座まし〳けるなり、, ○下, 界にして、當社の, ○註, 略ス, 略, 略, 天權之部, 四, ○中, 津久戸明, 日吉山王, 社, 神, 文明十年六月二十五日, 五三〇
割注
- 此地ハ牛込
- て、菅祠とならひてありしよし、大道寺友
- 其頃の社地ハ今の梅林坂のあたりにし
- 方ハ牛込に屬す
- と小日向の
- 仙翁の説なリ、或人云、太田家譜に、文明十年六月十五日、於江戸城内、建山王
- い、兩社ともに御城内にありしを、菅祠は平川口御門の外へ遷さ
- 權現堂、荒神祠、菅丞相祠云々、菅祠〓今の平川天神の事なり、御國初の頃迄
- れ、山王ハ御城の鎭守として、紅葉山に遷座まし〳けるなり、
- ○下
- 界にして、當社の
- ○註
- 略ス
- 略
- 天權之部
- 四
- ○中
頭注
- 津久戸明
- 日吉山王
- 社
- 神
柱
- 文明十年六月二十五日
ノンブル
- 五三〇
注記 (43)
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