『大日本史料』 8編 10 文明9年是歳~同10年12月 p.530

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へ遷され, 神を星野山より江戸に遷し奉る, おいて、新に社を御造營ありて、御産神にあかめ給ふ、其後御城西貝塚の地, 州入間郡川越の城の乾に氷川明神の社あるに准へ、文明十年戊戌六月五, を當國江戸平川の觀音堂へ移し、是を齋く津久戸明神と稱す、文明十年戊, 戌、太田道灌、江戸城の鎭守として、宮社を造立ありしといへり、永亨記に、武, このかた、江戸を以て、永く御當家御居城の地に定させられし頃、紅葉山に, 音、傳教大師の作なり、相傳ふ、天慶三年庚子、相馬將門誅せられし後、其首級, 台命ありて、今の地へ遷座なし奉り、宮社御造營ありしより、江府第一の宮, 又承應三年甲午、囘祿の後、溜池の築山勝地たるにより、竟に, 天正より, 居となまり、, 日吉山王神社永田馬場にあり、, 別當は天台宗にして、善龍山成就院と號す、本地佛は聖觀, 〔江戸名所圖會〕, 文明年中、太田道灌、此山王三所の御, 津久戸明神社築土銀町にあり, 〔江戸名所圖會〕型權之部津久戸明神社築土銀町にあり、, 日吉山王神社永田馬場にあり、〓中文明年中、太田道灌、此山王三所の御, 此地ハ牛込, て、菅祠とならひてありしよし、大道寺友, 其頃の社地ハ今の梅林坂のあたりにし, 方ハ牛込に屬す, と小日向の, 仙翁の説なリ、或人云、太田家譜に、文明十年六月十五日、於江戸城内、建山王, い、兩社ともに御城内にありしを、菅祠は平川口御門の外へ遷さ, 權現堂、荒神祠、菅丞相祠云々、菅祠〓今の平川天神の事なり、御國初の頃迄, れ、山王ハ御城の鎭守として、紅葉山に遷座まし〳けるなり、, ○下, 界にして、當社の, ○註, 略ス, 略, 略, 天權之部, 四, ○中, 津久戸明, 日吉山王, 社, 神, 文明十年六月二十五日, 五三〇

割注

  • 此地ハ牛込
  • て、菅祠とならひてありしよし、大道寺友
  • 其頃の社地ハ今の梅林坂のあたりにし
  • 方ハ牛込に屬す
  • と小日向の
  • 仙翁の説なリ、或人云、太田家譜に、文明十年六月十五日、於江戸城内、建山王
  • い、兩社ともに御城内にありしを、菅祠は平川口御門の外へ遷さ
  • 權現堂、荒神祠、菅丞相祠云々、菅祠〓今の平川天神の事なり、御國初の頃迄
  • れ、山王ハ御城の鎭守として、紅葉山に遷座まし〳けるなり、
  • ○下
  • 界にして、當社の
  • ○註
  • 略ス
  • 天權之部
  • ○中

頭注

  • 津久戸明
  • 日吉山王

  • 文明十年六月二十五日

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  • 五三〇

注記 (43)

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  • 1726,616,64,1000神を星野山より江戸に遷し奉る
  • 1251,629,70,2200おいて、新に社を御造營ありて、御産神にあかめ給ふ、其後御城西貝塚の地
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  • 321,621,63,2210戌、太田道灌、江戸城の鎭守として、宮社を造立ありしといへり、永亨記に、武
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