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一觀世太夫は、伊賀の服部一黨の者なり、足利將軍東山殿に仕へて、觀阿彌と云同朋也、, 彌藝術熟し、子孫相續す、太閤御代、世閑に、繁昌して、能太夫餘多ありといへとも、, て、是を相勤む、其子俗にして、觀世三十郎と號し、猿樂と成りて、金春か聟と成り、, 金春・觀世〓上たるも、右の譯故なり、太閤の御時、權現樣上方御在勤の後、御休息, として、關東御下向の時、いつれの太夫成とも、江戸へ召連られ、御慰の能なさるへ, しと、太閤の仰に付、然らは觀世太夫を御連なされ度よし御願有て、御借りなさる、, 御成橋こおゐて興行有之候事、, 進能行ひしに、身愛も倶に勤たりき、, 渠に仰せて、猿樂の業を學ばしめ、勤しむ、其子世阿彌、其子の童阿彌と續て同朋に, 〔猿樂傳記〕二四座并喜多座之始末, 進能行ひぬ、, 一元和七年二月、觀世太夫一代能、, 〔百囀〕十觀進能, 十世重成、, 元和七年、左近重成、父身愛入道黒雪と倶に、江戸神田にて、日數勸, 號似閑, 齋安休、, 〔勳〕, 元和七年二月二十四日, 一七五
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- 號似閑
- 齋安休、
- 〔勳〕
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- 元和七年二月二十四日
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- 一七五
注記 (20)
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