『大日本史料』 12編 38 元和七年六月~同年十一月 p.319

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の臣關文左衞門と云士の伯父なる男、勇氣つよく、, み入なんとて、上書して王に告けれは、惣大將ニ命せられ、呂宋へいりけるに、寛永の比ニ, る者引て歸んと云に、關生か云、此まゝにてをきなは、又敵ニ勢つきぬへし、追付て敵國へは, さりけり、其比呂宋より攻來りて、二邑を取られ、次第に敵強くなりゆくを見て、常ニ云ける, は、此國の戰法こて勝へきやうなし、我これニ當らは、討敗りなんと云るを、終ニ王にきこへ, ひ、つれ行けるに、和風の長刀を放さす、旦剛強なれは、その事にも不及、彼國ニ到てなを止, へ下り、後に交留咽の商と博奕して、大ニ勝ける故、すかしつれて、船中にて殺しなむと思, て、小卒を付て、惣軍と一つニなりて戰しか、敵を散々に追なひけ、二邑を取返しつゝ、將た, 宜キ者ニ付暹羅通事役相讓タキ旨願ノ通、長助ニ暹羅通事役被仰付、又左衞門歸郷ノ節、, 辻截なとし、且酒に醉、博奕を常として、行事惡き故、親属義絶しける、才智ある者ユて、長崎, 暹羅製作ノ釋迦佛ヲ持歸レリ、又赤栴檀一本持來處、鍋嶋家ヨリ懇望ノ由ニ付、三ツニ分, ケ、壹ツヲ差進ス、佐嘉高傳寺ノ本尊ヲ彫刻有シ由、一ツハ長崎能仁寺安置ノ佛像ヲ彫刻, 〔窓のすさみ追加〕上篠山, 又暹羅國通事兼役ニ被仰付處、本役繁多ナル故、森田長助トテ、暹羅ニ數年在留シ、通辨等, アリ、一ツハ末次平藏所望ニ付差遣ハス由也、, 元和七年九月一日, 家信, ○松平, リ國王ノ婿, 某呂宋ニ渡, 家臣關文左, 衞門ノ伯父, トナルトノ, 松平家信ノ, 説, 元和七年九月一日, 三一九

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  • 家信
  • ○松平

頭注

  • リ國王ノ婿
  • 某呂宋ニ渡
  • 家臣關文左
  • 衞門ノ伯父
  • トナルトノ
  • 松平家信ノ

  • 元和七年九月一日

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  • 三一九

注記 (27)

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