『大日本史料』 12編 38 元和七年六月~同年十一月 p.304

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千石ほとの采地を給ひて、〓亞と成し、是本朝寛永四年の事也、, し、日本・中華の文武の學を説しめけるに、明々としてして、響の聲に應し、水の竪板を走る, らして遠さけて威をなし置給ふゑひすなれは、何そ經書の通し、軍學の古戰も聞馴さる事, なれは、仁左衞門か發明なる才に信仰して、國王へ稱美しけれは、頓て國主、仁左衞門を召出, か〓く、國王深く感し、仁左衞門を登庸して、官人となし、食邑の地をあたへ、則國王の師と, 後は、官人ともひたすら出合けるか、此仁左衞門、生得書籍等をも讀、小學問もして、才智發, して、〓亞仁左衞門と稱號を給ふ、跨亞とは日本にて國主と云事也、仍て食邑、日本にての三, 鄙の夷狄なれは、中華より文字の通用もなく、况や文字の士の來ると云事もなく、誠に式狄, 是鷹、荊舒是〓すと聖人の教戒給ひし夷狄にては、害をなす時は是を討ち、平生はおどしこ, なり、武藏江戸廻りに下り、徒成事ありて御吟味に逢、長崎へ出奔し、シヤムラの出舩に乘, りけれは、暹羅の官人も段々と招請して、仁左衞門を尊敬す、元來シヤムラ國とは、西南の邊, り渡り、國王に被頼、所々の軍に立、手柄をして、國主の聟になり、其後國王の跡を繼たる, 明論を出て、日本の軍法にも通し、古戰の事なと能覺えて物語し、經書等にも通したる者な, 一説に、天竺徳兵衞か云、山田仁左衞門、シヤムラ國主也、元來日本勢州山田の御師の手代, 元和七年九月一日, ノ説, 正ヲ召シテ, 敬ス, 師トナスト, 暹羅國王長, 長正ノ出自, 等長正ヲ尊, 暹羅ノ官吏, 説, 一關スル諸, 三〇四

頭注

  • ノ説
  • 正ヲ召シテ
  • 敬ス
  • 師トナスト
  • 暹羅國王長
  • 長正ノ出自
  • 等長正ヲ尊
  • 暹羅ノ官吏
  • 一關スル諸

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  • 三〇四

注記 (26)

  • 574,571,58,1521千石ほとの采地を給ひて、〓亞と成し、是本朝寛永四年の事也、
  • 949,578,60,2215し、日本・中華の文武の學を説しめけるに、明々としてして、響の聲に應し、水の竪板を走る
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