『大日本史料』 12編 38 元和七年六月~同年十一月 p.303

Loading…

要素

頭注ノンブル

OCR テキスト

く彼國に止りぬ、初のほとは賣買の事にて、彼國の官人に馴むつひ、詞も通しける、かゝりし, 舩に取乗り、賣人と成、外國に身を隱すものも多しとかや、されは日本人は武勇萬國に勝れ、, 去程に暹羅國は、西南夷の中一大國にして、殊に弁〓喇海と云大入海を受て、南海第一の湊, にして、繁昌の土地なれは、日本舩は申に及はす、四夷八蠻の商舩入津する所也、爰に日本よ, り、才智賢しき者なれとも、父母の命をも用ひすして、産業も〓とせす、所にも居りかたく、, 國の一方を守る、自餘の蕃國ともも、日本人の武勇を恐て、シヤムラ國へも寄もせされは、暹, 故にシヤムラ國王も日本人を尊用し、一の屋敷をあたへ、日本町と名つけて一の曲輪を設, 彼方此方とせしか、身の寄所なきまゝに、蕃國賣買の舩に打乘、シヤムラ國に渡り、年久し, け、數百軒の町屋を立て、妻子眷屬をもふくる故、寛永の頃は、日本人の數八千に過て、暹羅, 有り、此仁左衞門と云者は、生國尾張の國のものなりしか、其人となりし放蕩にして力量あ, 智謀賢しこき〓なれは、蕃國の戰、又は海賊等も、日本人を恐れる事、あたかも鬼神の〓し、, 羅國の民安堵の思ひをなし、國王もいと調法成〓に思はれし中に、山田仁左衞門と云もの, り廻舩も代る〳〵行かよふ折なれは、元和・寛永の間、或は關ケ原・大坂沒落せし落人も、賣, 山田仁左衞門出所之〓, 元和七年九月一日, 勇萬國ニ勝, 日本人ハ武, ル, 元和七年九月一日, 三〇三

頭注

  • 勇萬國ニ勝
  • 日本人ハ武

  • 元和七年九月一日

ノンブル

  • 三〇三

注記 (20)

  • 294,563,59,2219く彼國に止りぬ、初のほとは賣買の事にて、彼國の官人に馴むつひ、詞も通しける、かゝりし
  • 1403,569,67,2227舩に取乗り、賣人と成、外國に身を隱すものも多しとかや、されは日本人は武勇萬國に勝れ、
  • 1792,577,66,2220去程に暹羅國は、西南夷の中一大國にして、殊に弁〓喇海と云大入海を受て、南海第一の湊
  • 1662,582,66,2211にして、繁昌の土地なれは、日本舩は申に及はす、四夷八蠻の商舩入津する所也、爰に日本よ
  • 537,569,62,2220り、才智賢しき者なれとも、父母の命をも用ひすして、産業も〓とせす、所にも居りかたく、
  • 906,569,66,2224國の一方を守る、自餘の蕃國ともも、日本人の武勇を恐て、シヤムラ國へも寄もせされは、暹
  • 1151,572,68,2220故にシヤムラ國王も日本人を尊用し、一の屋敷をあたへ、日本町と名つけて一の曲輪を設
  • 413,563,63,2225彼方此方とせしか、身の寄所なきまゝに、蕃國賣買の舩に打乘、シヤムラ國に渡り、年久し
  • 1028,572,66,2219け、數百軒の町屋を立て、妻子眷屬をもふくる故、寛永の頃は、日本人の數八千に過て、暹羅
  • 660,562,64,2228有り、此仁左衞門と云者は、生國尾張の國のものなりしか、其人となりし放蕩にして力量あ
  • 1276,572,64,2221智謀賢しこき〓なれは、蕃國の戰、又は海賊等も、日本人を恐れる事、あたかも鬼神の〓し、
  • 786,564,63,2219羅國の民安堵の思ひをなし、國王もいと調法成〓に思はれし中に、山田仁左衞門と云もの
  • 1533,577,64,2218り廻舩も代る〳〵行かよふ折なれは、元和・寛永の間、或は關ケ原・大坂沒落せし落人も、賣
  • 1928,694,58,559山田仁左衞門出所之〓
  • 197,634,44,342元和七年九月一日
  • 1412,204,41,213勇萬國ニ勝
  • 1461,205,44,213日本人ハ武
  • 1367,207,35,29
  • 197,634,44,342元和七年九月一日
  • 192,2321,42,119三〇三

類似アイテム