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る、かくて一年ありて、暹羅の都へ參勤し、常に國王の側に在て政務を謀り、國王の師範た, も、駿府に久しく住居せし故、淺間へ奉納せしとも云、其實否を知りかたし、, 山田仁左衞門立身の事, 間え奉納したる其繪馬、今に淺間にあり、繪馬は大キ成繪馬にて、彼國にて軍の躰を書た, 歸心なくは、我か臣下とならん者は召抱へしと有しかは、諸浪人共悦喜て、仁左衞門か家臣, 給り、貳万石程の主となる、仁左衞門拜謝して、日本町にある所の者共に告て云、各々日本に, て、誠に勇々敷嚴重なりけれは、皆目を驚かす〓限なし、彌仁左衞門か武勇・智謀を感心しけ, よし語りしか、又一説には、生國駿河國出生の者なる故に、仁左衞門、暹羅國より駿河の淺, 貳百餘人を召抱て、日本流の行列ニ出立、此度拜領の地へ入部せり、シヤムラ國の人是を見, せ候なり、見事成繪馬也、仁左衞門の立身したる躰とも云、或は仁左衞門尾張の人なれと, となる者多し、仁左衞門悦ひ、其器量を撰ひ見る所に、勇士四十餘人、雜兵百餘人、足輕・中間, り、名をは山田仁左衞門と記し有之、今は淺間の寶藏に納りて有、別當に望候へは見物さ, 扨も山田仁左衞門は、シヤムラ王の師となり、食邑三千石程の國主となりし、程なく加増を, 附逸比留國合戰、并仁左衞門逸比留の國主と成事, 元和七年九月一日, 奉納ノ繪馬, 駿河淺間社, 元和七年九月一日, 三〇五
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- 奉納ノ繪馬
- 駿河淺間社
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- 元和七年九月一日
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- 三〇五
注記 (19)
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