『大日本史料』 12編 43 元和七年雑載 p.219

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東の川端堤の内に、幅五間の馬場なり、馬場の中央より南の堤の下に、三間に二間の小, 一町目の道幅四軒を合せて、其間三十間の小町なり、此時の大手口は北向なり、所は今, 家、今の牢屋の地なり、夫より失火して、假屋・中村の人家悉く燒失し、唯城か洲の屋敷, の町といふ、承應の時、中洲惣門の北の立方に移す、東西五間、南北三町、後に又百七, 十間となる、職人町は、南は大手の城戸近くより、北は一町目に行當り、長さ二十六間、, を中村町といふ、中村舟渡の筋なり、其後渡場また三町目なる、四町目は寺町なり、隨, 〓寺・玄興寺、此後に建つ、馬場町は、南は堀際より、北は隨〓寺まて、その間二町半、, 板屋の馬見所、又西向にならひて、三疋立の外繋なり、町屋にあらすといへとも、馬場, 茅屋にして、町並なし、元和九年辛酉九月廿八日、出河原の民瞎鷹五郎次郎といふ者の, と假屋の民家、今の泉屋・柏屋か先祖二軒のミ殘る、垂水半左衞門奉行して、此時始て, 町割を搆ふ、, にある故なり、城か洲もその□〓の洲なる故なりといふ、備前代の頃まても、民家皆な, 人町・風呂屋町・横町四筋なり、此時前川既に埋れて、一町目はその筑地なり、二町目, 東西の町は、一町目・二町目・三町目・四町目四筋、南北の町は、馬場町・職, 明ならす, 或説に曰、町は半左衞門にては有へからす、大火以後、假屋町を加里屋と字, を改む、寛永元年に、政綱公役人の名判の水帳あり、此時、半左衞門既奉行を, 勤ること, 村燒亡, 假屋中村兩, 赤穗町割, 馬見所, 元和七年雜載, 二一九

割注

  • 明ならす
  • 或説に曰、町は半左衞門にては有へからす、大火以後、假屋町を加里屋と字
  • を改む、寛永元年に、政綱公役人の名判の水帳あり、此時、半左衞門既奉行を
  • 勤ること

頭注

  • 村燒亡
  • 假屋中村兩
  • 赤穗町割
  • 馬見所

  • 元和七年雜載

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  • 二一九

注記 (24)

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